ラカンの言語観
ラカン
にとって
言語
は
他者
である。(だがその逆
「他者は言語である」とは言えない
。
ラカンにとって「他者」は非常に多義的な言葉である
ので、他者という広い概念の一要素として言語も含まれるという感じである。)
我々が誕生する以前から言語は存在しており、我々とは別のものであるその言語によって、我々は自分を表現していかなくてはならない。そこには
制約
があり、
断念
や
諦め
もあるだろう。(精神分析的には
去勢
という。)
これが
大人
になるということだとも言えそうである。
ちなみにこの
言語観
は
ヴィトゲンシュタイン
でいうと、
言語ゲーム
と
親和性
が高いのではないかと考えている。
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