マイク・ビドロについて
Discord本部にて
akilla:(毎週日曜日が楽しみ)
ヒドロの「〜ではない」シリーズとても面白いです。
天才的と感じました。自分のイメージをくつがえされました。
ばる:シミュレーショニズムのなかでも、ビドロの表現は目をひきますね。
akilla:p46にあるように、自分のやってることが全てが自然と集大成されてるし、元ネタの集まりである感です。
(ビドロを知らないでいたのでかなりくらいました。
ばる:ビドロの話が出たのでビドロのとこを読み直し。
ビドロがピカソの絵と全く同じ絵を描き、『This is not a Picasso』と名づけるやり方は、マグリットの『これはパイプではない』「Ceci n’est pa une pipe」の転用である。マグリットのこれはこの前美術chでも挙げられてましたね。ピカソの盗用であるが、同時にマグリットの盗用でもある。 で、ビドロはセザンヌでもカンディンスキーでもウォーホルでもデュシャンでも全部完璧なレプリカを作ってしまう。ビドロのこのような試みは、美術史というシミュレーションに近づいていく。
マグリットの『これはパイプではない』は、パイプの絵はイメージとしてはパイプだが、物質としてはパイプではないという話で、イメージと言葉のずれを暴いた。これを転用して『これはピカソではない』を描いたビドロは、ピカソを解体して、その神話の怪しさを浮かび上がらせようとする。現在ピカソをピカソたらしめているのは、ピカソのサインではないのかーーピカソの絵という本物は本当に素晴らしいものなのか。
ビドロのシミュレーション作品を見た鑑賞者のほとんどは、ピカソやウォーホルやデュシャンの作品と錯覚し、ビドロの作品とは気づかない。それはデュシャンでもウォーホルでも「ない」。何が本物で、何が偽物なのかわからない。偽物の偽物は、もう偽物でなく、ビドロの作品という別の本物である。