ベルクソン突発VC(4)ログ
日時:2023/3/18 22:30〜25:30(3h)〜30:00
場所:Discord本部 VC(301)
読む範囲:平凡社ライブラリーpp175〜188
呼びかけ:
企画概要
原文を朗読する
朗読後、適当にコメントを言う
意見、質問、言いたいことがある場合は
VCに上がって言う
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メモ
別のVC進行中のため興味はあるが参加できずcFQ2f7LRuLYP.icon
あらすじ紹介
生命!
vs
学説比較とオリジナルな綜合(再構成)
:だれもがやる
偉大な思索の浸透と根源的直観
:するひともいる
直観
「直観は禁止する」
直感の影
記号的な抽象表現(言葉)
直観を通約できない
テーマ ベルクソンの哲学観
部品の集合としての哲学
vs
有機体としての哲学
本時の一段落目
直観を翻訳するイマージュ
時間的かつ場所的な条件からの学説の解放
無機物的哲学観
構成的研究過程
学説の表現手段の再構成を通して歴史的普遍性を見る。
偉大な哲学者のモザイク仕事と我々哲学者のその学説の再構成
ここにおける偉大な哲学者の賞賛とは、表現手段すなわち構成要素(他の学説)が限られている中で、偉大な学説を表現したこと。
実は私たちは自分のやり方で考えていて、真に再構成できていない
再構成を再度行い、満足するまで新たな錯覚に滑り込む
有機物的哲学観
進化的
code:哲学者の営み
哲学者という名に値する人は、たった一つのことを言っただけなのです。いや、彼は本当にそれを言ったというよりも、言おうと努めたのです。そして彼が一つのことしか言わなかったのは、一つの点をしか見なかったからです。いや、それは視覚というよりも接触であり、その接触が彼に衝動を与え、その衝動が運動をひき起こしたのです。何か特別の形をした旋風のようなこの運動は、道すがら掻き集めたものによってしか私たちの眼に感じられません。この旋風はほかの埃を掻き集めたかもしれません。(中略)偶然出会って、自分の運動の中に巻き込んだ既成概念を通して、自分の姿を表すしかないのです。
その思想はその哲学者が生きた時代に相関的なもの
彼は同じこと(主題)を言ったでしょう。
二段落 実例
スピノザ
スピノザの直観とは、真理を完全に認識する私たちの精神作用と真理を産出する神の作用とが一致するという感情
スピノザ ベルクソン ドゥルーズ 前向き明るい哲学の系譜
バークリー
基本命題
1. 観念論:物質は観念の集合である
2. 唯名論:抽象的一般観念は言葉に還元される
3. 精神の実在と唯心論・主意説の肯定
4. 有神論:存在するとは知覚される事だ、神が全存在を知覚している
過去に同じことを言っていた人もいる
三段落
デカルトは違う
酢と油のたとえ
ドレッシングの材料
別々の具材が
遠くから見ると結構良く出来てるように見える
夢のアナロジーとして現実を捉える
普遍は実在するのでなく名前にすぎない
神の知性と結びつけるのは難しいのになぜ
思想家の思想に近づくうえでのアプローチを言っている重要な箇所
要素を取り出す→含みあい(有機的連環)を見出す
相互浸透
ScrapBoxのリンク
新しいページをつくって考察書いてる最中に3つのページでブラケティングした文章を使うみたいなイメージしてました
微妙さをそなえた具体的なリンク
観念論
バークリーの観念論の意味は「物質が私達の表象と同じだけのひろがりをもつ」ということ
可能性の貯蔵所
哲学者が言ってるよりもずっとシンプル
「観念論」と「唯名論」の一致
「延長」は哲学用語
人間の精神⇔神の精神
⇔物質⇔
code: 解釈者の媒介的イマージュの回復
解釈者がバークリーの著作の研究を進めるにしたがって心に浮かぶこの媒介的イマージュは、著者の思想のなかでもかつてそのままの形で存在したのでしょうか。たとえ同一のイマージュではなかったにせよ別のイマージュがあったのであり、それが解釈者のイマージュとは違った知覚の秩序に属して物質的な類似をもたなかったにせよ、しかしそれは同一の原典を二つの違った言語に翻訳したもののように同一価値をもっていたと私には思われます。
解釈者と偉大な哲学者(バークリー)で異なる媒介的イマージュがあっても同一価値というのは結構なオプティミズム。なかなかの思い切り。めっちゃいい。かりふぁ.icon
終わったあとの話
読むにあたって言語化をする
他者に伝えるために言語化しているかというと、その気持ちは薄い