1799年、父の遺産を得て経済的に自立し、友人シェリングを頼って、イエナ大学の私講師となる。1806年ナポレオン軍の侵入下に最初の主著『精神現象学』を完成。その間、下宿の女主人がヘーゲルの子ルートウィヒGeorg Ludwig Friedrich Hegel(1807―1831)を産む。イエナを去ってバンベルクで新聞編集者をしたのち、ニュルンベルクでギムナジウムの校長となる。1811年41歳で20歳のマリーMarie Helena Susanna von Tucher(1791―1855)と結婚、翌1812年第二の主著『論理学』を出版。