パンを作る妖精の譬え話
「プラグマティックな方法」によって無用とされる議論の例
パンを膨らませるのはブラウニーかエルフかどちらかという議論には意味がない
どこ
……そこでこの口論は、あたかも大昔、酵母によって生パンをふくらませることの理を論じて、一方の者はこの現象の真の原因は「妖精(ブラウニー)」だと唱え、他の者は「妖魔(エルフ)」であると言い張ったのと同じように、架空の論であったことになる 参照箇所:ウィリアム・ジェイムズの『プラグマティズム』(岩波文庫)の第二講(p55)
元々は科学者のオストヴァルの発言であるらしい
どちらが真であるかによって結果に実際的な変化がないならば、
どちらが真であったとしても
それによる結果が実際的な違いに現れてこないならば、
どちらかを選ぶということ自体が無意味だよね
……ということを言いたい箇所だと思う
パンを膨らませているものという概念を
ブラウニーに適用してもエルフに適用しても
パンが作られる行程やパンの出来は変わらない。
パンを膨らませるのはブラウニーである
パンを膨らませるのはエルフである
このふたつのどちらが真でも変わらないのは
ブラウニーとエルフが実は同一存在だからでなく
どちらにせよ実際の結果は同じだから