バラージュ・ベーラ
本名バウエル・ヘルベルト(Bauer Herbert)としてセゲドのユダヤ人の家庭に生まれる。母親はドイツ人で、両親ともに学校教師であった。1912年、アビトゥーアに合格。パイプ清掃のアルバイトをしながら、大学でハンガリー語とドイツ語を専攻。映画に関する最初の著作集Der Sichtbare Mensch(『視覚的人間』; 1924年)は、ドイツで「言語としての映画」理論が成立する契機となった。エイゼンシュテインやプドフキンもまた、この著作に影響を受けた。 映画としての代表作の一つにValahol Európában(『ヨーロッパの何処かで』; 1947年。米国では1949年にIt happened in Europe『それはヨーロッパで起きた』という題名で公開)がある。 1949年、ハンガリー最高の栄誉であるコシュート賞を受賞。ブダペストで死去。1958年には、映画芸術関連の業績を対象として、彼にちなんでバラージュ賞が設立された。