トスカニーニ
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アルトゥーロ・トスカニーニ
パルマ王立音楽学校でチェロや作曲を学ぶ。当初は作曲科の学生であったが、ワーグナーの楽劇『トリスタンとイゾルデ』を観覧し作曲家になることを断念、そのままチェロ科に移った。 1886年、プロ指揮者としてデビュー。
1898年、スカラ座芸術監督に任命される。
1908年、ニューヨーク市のメトロポリタン歌劇場に移り、グスタフ・マーラーと共に首席指揮者となる。 1927年、ウィレム・メンゲルベルクと共にニューヨーク・フィルハーモニックの常任指揮者に指名される。 1937年、NBC交響楽団の首席指揮者としてラジオ演奏会を開始。
1939年 以後、第2次大戦終結まで欧州では演奏しなかった。
1946年、1945年のイタリアの終戦によってムッソリーニが失脚しファシズムが打倒されたイタリアに帰国。 1952年、スカラ座でお別れ演奏会を行う。英国フィルハーモニア管弦楽団に客演。これらが欧州での最後の指揮となる。
1957年、ニューヨーク市リバーデイルの自宅にて死去。89歳没。
エピソード
両者は前年のニューヨーク・フィルの引き継ぎをめぐって感情のしこりがあったが、フルトヴェングラーがドイツに留まっていることに対し、トスカニーニは彼がヒトラーの言いなりであると解釈しており、双方は険悪な関係となっていた。
「あなたはナチだから出ていけ!自由な国と奴隷化された国の双方では指揮する資格はない」
「あなたにまかせるなら出て行きます。でも音楽家にとって自由な国も奴隷化された国もない。演奏するのがたまたまヒトラーの国といって、ヒトラーの部下とは限らない。偉大な音楽こそナチスの敵ではないですか!」
「第三帝国で指揮する者は全てナチスだ!」
といった内容で喧嘩別れしたという。
「すると、あなたは、芸術というものはたまたま政権を握った政府のための宣伝、つまりそのかざりものにすぎないとおっしゃるのですね。ナチ政府が勢力を占めれば、私は指揮者としてもやはりナチであり、共産主義の下では共産主義者、デモクラシーの下では民主主義者となるわけですか?いいえ、絶対にそうではありません! 芸術は、これらのものとは別の世界に存在するものです。それはあらゆる政治的偶発的な出来事の彼岸にあるのではないでしょうか。」
トスカニーニは再び頭をふって答えた。
「私はそう考えません。」
これで話合いは終わった。
以後、2人が会うことはなかったといわれる。