デカルトノート
ルネ・デカルト (Rene Decartes 1596-1650)
パリから車で4時間、フランス中西部トゥーレーヌ地方にあるラ・エー(現在ではデカルトという町の名前になっている)でデカルトは生まれた。 父親はブルターニュの高等法院評定官であり、母親は病弱でデカルトが1歳の時に亡くなっている。
1606年、10歳のデカルトはラ・フレーシュ学院に入学する。ラ・フレーシュはアンリ4世が邸宅を提供し、1604年に創立されたばかりの最先端の教育機関である。 ラ・フレーシュはイエズス会の学校だったためゴリゴリのカトリック、スコラのカリキュラムだった。
デカルトは学院でさまざまな学問を学んだが、中でもその明証性から数学を好んだ。
18歳で学院を卒業したあとは、ポワティエ大学へ進み法学と医学を学び二十歳で法学士の学位を取得した。
その後「書物を捨て、世間という大きな書物」に学ぼうとフランスを後にして志願兵としてヨーロッパ各地を遍歴した。
その間オランダで医者であり数学者、自然学者でもあるベークマンに出会い、数学の探究に打ち込む転機となった。
除隊したあとは33歳でオランダに隠居し、生まれ故郷のフランスにはほとんど戻らなかった。
デカルトには母から受け継いだ遺産があり、それをアムステルダムの銀行に預けていた。
そのため生活のために働く必要はなく、家事はお手伝いさんに任せてデカルト自身は心置きなく形而上学的な思考に沈思することができた。
スウェーデンの王女クリスティーナとは文通を通じて親交を深め、1649年に招聘されてストックホルムに向かった。
王女のために朝の5時から講義を行った。普段朝は寝ていたデカルトにとっては体力的にきつい日々が続いた。
クリスティーナは冬は避けるようにとアドバイスしたが9月に出発したデカルトは、2月に風邪をこじらせて肺炎になり彼の地で死去した。デカルトの頭蓋骨は現在、パリの人類博物館で見ることができる。
「いつか諸学において、揺るぎない不変なものを確立しようと欲するなら、一生に一度は一切を覆して、第一の土台から新たに開始しなければならない」(『省察』第1部)
方法的懐疑
習慣であれ、書物に書かれたことや学校で教わる知識であれ、それが少しでも疑いを挟みうるものであるならば、
全面的に棄却するという方法。
①感覚の懐疑
例えば遠くから見ると丸い塔が近くで見ると四角であったりする。感覚は欺く。したがって感覚を経由して得られるものは偽である。
②夢の懐疑
自分が今ここにいる、このように手足があること、それは疑い得ないのではないか。
⇨しかし「夜の眠りの中で、いかにしばしばわたしは、普段のとおり、自分がここにいるとか、上衣を着ているとか、炉端に座っているとか、信じることであろう。実際は着衣を脱いで床の中で横になっているのに」(『省察』第1部)
⇨この世界が現実なのか、夢なのかは疑いうる。
したがってこの現実が存在するということは真理的ではない。
③数学、幾何学的真理の懐疑 ー神と狡猾な霊ー
2+3=5である。
「私が二に三を加えるたびに、あるいは、四角形の辺を数えるたびごとに[中略]私が誤るように、この神は仕向けたのではあるまいか」
「ある悪い霊が、しかも、この上なく有能で狡猾な霊が、あらゆる策を凝らして、私を誤らせようとしているのだ、と想定してみよう。」(『省察』第1部)
したがって絶対的真理と思われている数学的、幾何学的知識もこのような想定が可能な限り全面的に退けるべきである。
しかしデカルトは少しでも疑いうるものは判断を中止する(エポケー)懐疑論者ではない。
デカルトは懐疑を不可懐疑的なものを発見するための方法として採用したことにその独創性が発揮されている。
我思う、故に我あり je pense, donc je suis
感覚は欺く。思考している内容は間違っているかもしれないと疑うことができる。=真理ではない。存在しない。
しかし、そのように思考しているとき、思考している私は存在していなければならない。
神の存在証明
①「私の思考」は「私の存在」を必要とする。しかし私の思考は私の存在の作者ではない。
そして私はときとして誤る。したがって私は完全な存在ではないことが帰結する。
しかし私は「私の存在よりも完全な存在の観念」を持ちうることから、そういった観念を「私」の内部に置いた存在者は存在する。
②もし私が完全な存在であるならば、自らの存在を生み出すことができるはずであるが、そうではない。
となれば、「私」の他に完全な何者かが存在し、瞬間ごとに私の存在が依存していることから、神は存在する。
③完全な存在者の観念には存在が含まれている。したがって「完全な存在者なる神」の存在は証明されうる。
連続創造説
デカルトは私の存在の連続性を神に依拠する。
私の存在は私自身が作り出したものでもなく、昨日存在したことから今存在することは導出されない。
「私の生にぞくするすべての時間は、そのどの部分も他の部分にまったく存在しない無数の部分へと分割される。だから、私がすこし前に存在したことからは、私がいま、存在しなければならないということは、この瞬間に或る原因が、私をいわばもういちど創造する、言い換えると、。私を保存することがない限りは帰結しない。」(『省察』第3部)
時間とは「その部分が相互に依存せず、またけっして同時に存在しない」ものであり、神のみが時間の連続性を創出しうる。
(『哲学原理』第1部)
永遠真理創造説
「数学の公理的命題すら確実ではない。推論の規則ばかりか、演繹の前提となる矛盾律を疑うことも可能である。いっさいは懐疑の闇のなかで溶けだしてしまう。だが、それ自体として疑うことのできない第一原理は、ほんとうに存在しないのだろうか。数学的な命題とはべつのところに、出発点をもとめる必要があるのではないか。そのうえで、いっさいの真理を、神によって裏うちすべきなのではないだろうか。原理を与えるのが神の啓示であるとは、神は不可疑の真理すらも創造したということではなかろうか。」(『西洋哲学史 近代から現代へ 』熊野 純彦 )
もし仮に真理というものが被造物ではないとする。するとこれら諸真理は神に対してもおしつけられることになり、したがって神は全能ではないことになってしまう。
デカルトは「永遠的な真理」とされているものも、「神によって制定され、神に完全に依存している」と考えた。
もし私が二足す三を誤ることなく遂行することができるのであれば、そしてもし私が世界の秩序を信頼することができるとすれば、それはまさしく神が善なるものだからである。神は私を欺くことができたのであるが、でも神はそれを意志しなかったのだ。
デカルトは方法的懐疑が「考える私」しか確実に存在することができないような独我論に陥るのを、神の存在証明によって防ぎ、神が「考える私」以外の存在を担保している。
方法序説
『方法序説』は本来ラテン語で書かれることが多いところ、ラテン語の素養のない女性や子どもにも読めるようにフランス語で書かれている。
「このようにわたしの目的は、自分の理性を正しく導くために従うべき万人向けの方法をここで教えることではなく、どのように自分の理性を導こうと努力したかを見せるだけなのである。[中略]この書は一つの話として、あるいは、一つの寓話といってもよいが、そういうものとしてだけお見せするのであり、そこには真似てよい手本とともに、従わないほうがよい例も数多くみられるだろう。」(『方法序説 』第1部)
こんなふうに『方法序説』は平明な文章で、ちょっといい方法を思いついたんだけどというような気軽な感じで書いている。
しかし小林秀雄は『常識について』という文章の中でこう書く。
「彼は、ドイツでの開眼の後、「冬の終らぬうちに再び旅に出た。以来まる九年というもの、あちらこちらと世間を歩き回る他には、何一つしなかった。世間で演じられる劇で、俳優たらんよりむしろ観客たらんと努めながら」。──こんな簡明な文も、その意味は簡明ではない。言わば、通例の読み方の逆の読み方を要求しているからだ。彼は、自分の最上と信ずる方法を実行するのに九年かけたと言っているのです。観客たらん事を努めて、何一つしなかったとは、見る自分と見られる事物との間に、どんな知識も意見も介入させまいと努める事、自分と対象との間のこの純粋な関係のうちには、ただ方法の活動だけがあるわけだが、その基本的な規則は、あまり普通で単純なもので、誰も取上げようとしないほど言わば透明なものであり、そういう状態に自己を保持するのには、注意力の極度の集中が要るという事、これをまる九年やってみたと言うのです。[中略]もし、彼が望んだように、この本を、一幅の絵を観ずるように読むならば、彼の「我れ思う、故に我れ在り」は、九年も黙っていたこの観客が、遂に発した科白のように映じます。この孤独な観客が演じていたものは、自己訓練という方法の精神の劇であった。この劇が、見る自分と見られる自分の間の演技にまで行き着けば、もうそれは幕切れではないか。彼は自分の黙劇をもうこの先きはないところまで、進行させてみて、舞台に跳り上り、舞台の俳優に雑ってこの独白を洩らす。私には、まことに鮮明に映ずる画面である。デカルトは、これを彼の哲学の第一原理と呼び、そこから、神の存在も、外界の存在も証明してみせた。」
参考文献:
デカルト『方法序説』『省察』『情念論』
熊野 純彦 『西洋哲学史 近代から現代へ 』
熊野 純彦編『近代哲学の名著 デカルトからマルクスまでの24冊』
ドミニク・フォルシェー『西洋哲学史 パルメニデスからレヴィナスまで』
小林秀雄『考えるヒント2』
メモなど
二元論?
デカルトの形而上学は、「思考するもの」と「延長するもの」とのあいだに、両者の結合を不可能にするまでの「実在的区別」を設定する。つまり「思考・主体・意識」ではないあらゆるものをひっくるめて「延長するもの」として区別する。いわゆるデカルトの心身二元論である。
しかし例えば『情念論』において「三〇 精神は身体のあらゆる部分をひっくるめた全体に合一していること しかしながら、これらすべての事がらをもっと完全に理解するためには、次のことを知らねばならぬ。すなわち、精神が真に身体全体に結合しておること、精神は身体のどれか一つの部分に、他の部分をおいて宿っているなどというのは適切でないこと。その理由の第一は、身体が一なるものであって、ある意味で不可分だからである。なぜなら、身体の諸器官の配置を見ればわかるように、諸器官はすべて互いに関係づけられていて、器官のどれかが除かれれば身体全体が欠陥あるものとなるようになっているからである。さらに理由の第二は、精神がその本性上、身体をつくっている物質の延長や諸次元や諸特性にはなんの関係ももたず、ただ、身体の諸器官の集まりの全体にのみ関係をもつからである。」
と書いている。
このあたりどう考えればよいのだろう…松果腺が思考的実体と延長的実体とをつなぎ人間を一つに統合する機能としてあり、精神と身体を分かちがたい合成物と考えいていたといってよいのだろうか…
スピノザの著書に『デカルトの哲学原理(付・形而上学的思想)』というのがある。