ステレオタイプ
ステレオタイプとは、特定のカテゴリーの人々に関する過度に一般化された信念のこと
他者の社会的な属性によって、その人個人の性質を推論するときに用いられる枠組み
……みたいなかんじだったとおもう
ステレオタイプの定義に関しては様々な議論が行われてきたが、ウォルター・リップマンは「ある社会集団について私たちが頭の中に持っている画像」をステレオタイプとした。 ステレオタイプの基本単位は、ある社会集団につけられたラベル(「子供」など)とそれに関連して呼び起こされる特性概念(「かわいい」「未熟だ」など)であり、これらが結びついた認知的な構造がステレオタイプだとされる。
つまり、ステレオタイプがあることで、ある集団に関する情報を受け取ったときには、その集団に結びついた特性概念も「自動的に」呼び起こされることになる(ステレオタイプ活性化)。
この自動的な作用に頼って、人は瞬時の判断や行動を容易に実行することもあれば、ステレオタイプの利用を抑えて慎重に行動することも出来る。
例えば、「子供はすぐに飛び出す」というステレオタイプがあれば、子供の飛び出しを未然に防ぐことができる、「子供は可愛い」というステレオタイプを抑えれば甘やかしすぎることも減るかもしれない、など
しかしこのステレオタイプの制御は、迅速な判断や行動が求められるとき、他の事に気をとられているとき、ステレオタイプの存在を意識していないときなどにはステレオタイプの自動的な作用の影響を受けやすくなる。
具体例
関西人は面白い
東京の人は冷たい
男らしい/女らしい
くわしいひとたのむ(あとでしらべなおすかも)
かりふぁ.iconなんか、こうした偏見ってメディアの取り上げ方によって形成されているような(偏見)。
たしかに.icon
ステレオタイプは日常生活を営んでいるだけで容易に知識として獲得されるという。
また、個人の人物情報への接触が繰り返されることを通して集団全体としての印象が次第に形成されていくこともあれば、集団全体についての情報が最初から集約された形で与えられることもある。
男性医師が登場する映画やドラマを繰り返し見ることで、医師といえば男性という印象ができあがる、ある国の人たちが戦時中に残虐行為を働いたという歴史を本で読むと、その国の地域の人たちは残虐だという印象を持つなど。
ある集団がなんらかの特性と組み合わされて情報として入ってくると、人間はそれらの関係を知識構造に組み込みやすい性質を持ちあわせているらしい。
もちろん、ステレオタイプが形成されていく中で、偽(嘘)の情報が組み込まれることもある。
かりふぁ.icon結局、こうしたステレオタイプがあることによって、仕事上だけとか社交の付き合いでのコミュニケーションのフォーマットになるから、それがあることである種そのコミュニケーションが発生する契機になっている気はする。偏見される側も、そのキャラに合わせてひとまずコミュニケーションの収束をするという可能性というか手段を提供されている様なものかもなぁ(エアプ)