コンベルソとモリスコ
コンベルソ
スペイン王国のイサベル女王(カトリック両王)は、1492年3月31日にユダヤ教徒追放令を出し、キリスト教に改宗しないユダヤ人は、7月31日までに国外に退去することを命じた。この直前の1月には、スペイン王国軍がグラナダを征服してレコンキスタを完成させており、同年10月にはコロンブスがアメリカ大陸に到達している。
多くのユダヤ人がスペインから(次いでポルトガルからも)脱出した(約10万人を超えると言われている)。このようなイベリア半島がら逃れてヨーロッパ各地に広がったユダヤ人は、セファルディウム(セファルディ=ヘブライ語でスペインの意味)といわれれた。
それに対して国外に出なかったユダヤ人はユダヤ教からキリスト教に改宗し、その証として洗礼を受けなければならなかった。彼ら、キリスト教に改宗したユダヤ人は「新キリスト教」、スペイン語でコンベルソといわれたが、改宗してもなお「隠れユダヤ教徒」ではないかと疑われ、偽装改宗者と疑われた者は蔑称としてマラーノ(豚の意味)ともいわれるようになり、常に異端審問(宗教裁判)の危険を伴った。また他のキリスト教徒からも厳しく差別され、迫害が続いた。
なお、このときイスラーム教徒も改宗か国外退去かを迫られ、残って改宗した人々は「モリスコ」と言われた。