異端審問
異端審問
カスティリヤ王国
で1391年6月に、
セビリャ
から大規模な
ユダヤ人
襲撃が始まった。
レコンキスタ
で激しく
イスラーム
教国と闘った
キリスト教
国で、次第に異教徒に対する敵意が醸成されていたことが背景にあった。そのため多くのユダヤ人が
ユダヤ教
を捨て、キリスト教に改宗するものがふえてたが、
カトリック
教会側は偽装改宗を疑い、その摘発を熱心に行うようになった。
1479年に
カスティーリャ
と
アラゴン
の統合が実現し、
スペイン王国
が成立した翌年の1480年、
ローマ教皇
は二人の
ドミニコ会修道会
の修道士に対し、
セビリャ
地方で取り締まりに当たることを命じ、翌年、スペインで初の
宗教裁判
が開かれ、男女6人のユダヤ人が先祖の信仰に忠実であったという理由で火あぶりの刑に処せられた。1483年にはスペインの初代の「宗教裁判所長官」にトマス=デ=
トルケマダ
が任命された。トルケマダは自身がユダヤ系であった。