エリウゲナ
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シャルル2世の招きで宮廷学校長として指導にあたる。神学と哲学の一致を説き、総合的な思想体系を構築した。
「それゆえに真なる哲学は真なる宗教であり、逆に真なる宗教は真なる哲学であるということが帰結する」
(『予定論』1−1)
エリウゲナは神の単一の本質的意思だけが存在し、それは本質的に存在と善に向かうがゆえに人間の救いのみを目指すことを証明しゴットシャルクの二重予定説に反対した。
地獄は人間の劫罰のためにあるのではなく、自らの虚無的な欲望が満たされないという、罪それ自体から帰結する人間の状態を意味するとした。
エリウゲナの思想原理はアウグスティヌス、ディオニュシオス・アレオパギテス、およびニュッサのグレゴリオスの人間論、証聖者マクシモスの霊的教説にもとづいている。 エリウゲナはこれらの著作の翻訳や註解を行い、ラテン中世にギリシャ教父の思弁神学を導入した。
主著である『ペリフュセオン(自然について)』はキリスト教的新プラトン主義的精神にもとづいて世界を神における起源と目的から体系的に把握している。
それによると神については被造物における多様な神顕現から出発して、ついに概念把握の不可能な超越的一者の洞察を導く。
そして存在の秩序をたどる際に、論理的思考は静止と運動という存在論的な根本規定両者の関係にもとづいて、すべての有限な現実をその神からの発出と神への帰還において認識する。
そこで「創世記」の解釈、創造・堕落・救い・完成という救済史を手がかりとし、現実/自然の4段階の発展が理解される。
①「創造するが創造されない」自然
②静止と運動の一致としての神から導かれる「創造され創造する」始源的原理
→善・存在・真理・永遠などの理念、精神的完全性の世界が神的な言葉によって生み出される
③②から「創造されるが創造しない」人間世界が生み出される。
人間の時間・空間的世界は人間の認識によって構成され、それと同時にその堕罪によって損なわれている。
そのため人間の神への観想的帰還、神的言葉の受肉によって可能となる人間の神化により、
④神の「創造されず(もはや)創造しない」自然における永遠の完成に至る。
人間論と存在論、倫理学と論理学、救済史と形而上学は、不可視の神が顕現の世界において自由に自己を実現する過程として、有機的・統一的に理解される。
このようなエリウゲナにおいて実現された思惟と信仰の一致という確信は中世のスコラ学の根底に脈々と流れている。
参考文献:クラウス・リーゼンフーバー『中世思想史』