アレクサンドリア学派
ローマが政治の中心であり、アテナイが哲学の故郷だとするなら、エジプトのアレクサンドリアは古代末期の文化的中枢と言える。その地理的条件からアレクサンドリアは東西交流の要衝の地となり、東方文化とギリシャ文化の、またキリスト教とヘレニズム文化の融合の地としての役割を果たした。 アレクサンドリアのユダヤ人であるピロンは旧約聖書をヘレニズム的な倫理学と哲学の意味で寓意的に解釈することでギリシャ文化とユダヤ教信仰とを総合する試みを行った。 正統ユダヤ教徒はピロンの思想に追随しなかったのに対し、キリスト教徒であるアレクサンドリアのクレメンス(150年頃ー215年以前)とオリゲネス(185年頃ー253/254年)は教会に受け入れられるようなヘレニズム的キリスト教の一つの形式を築いた。 彼らのギリシャ的思索を惜しみなく活用したヘレニズム的キリスト教は、後の教父・中世の伝統の中に受け継がれていくことになった。
クレメンス
クレメンスはアテナイの異教徒の家に生まれ、ヘレニズム文化と思想が身近にある環境で育った。 アテナイを出て、南イタリア、シリア、パレスチナを遍歴し、アレクサンドリアでストア派のキリスト教徒パンタイノスに出会い彼に師事した。 クレメンスは聖書の内にある真理を解明するために、古代のあらゆる学問やエジプト人の知恵からギリシャの密儀、さらにはアリストテレス論理学まで用いた。
彼はユスティノスの思想に従い、真理はそれが現れる際には、ピロンの寓意の内であれ、プラトンの対話篇の内であれ、いずれの場合も、キリストにおいて完全な現前となった神的ロゴスの啓示に基づくと考えていた。 著作『教育者』では神的ロゴスたるキリスト自身、人生の教育者であり、その愛のうちで神の善と正義とが統一される。(第一巻)「彼の目的は教えることではなく、魂を向上させることであり、また理知的な生活にではなく、有徳な生活へと向けて魂を鍛え上げることである」(同)
第二巻と第三巻では、日常生活の細目に関して、食習慣や住居設備、娯楽や服飾、社会生活から夫婦生活の礼儀作法まで多彩な叙述が行われている。
クレメンスはこれらの記述の際に、再度ストア学派の思想に依拠して、自然に敵うものや理性的なもの、徳を具えたものを強調した。
このような『教育者』での実践的教示に対し、『ストロマテイス』では古典からの引用文を交えて、人間の真のあり方を示す人間像や信仰と知の関係、さまざまな根本問題を議論している。 彼は信仰理解にとってのギリシャ的教養や哲学の有用さを示しながらも、他方ではギリシャ的理性の普遍性要求にも反対し、その役割をあくまでも予備的で二次的な位置付けとしている。
人間はまず信仰の素朴な受容から始めて、実践的生活における起きての遵守を経て、さらには瞑想を通じてのキリスト教的認識における神化にまで歩みを進める。そこに至って、霊的人間は情念から解放され、祈りにおいてこの世界の只中で常に神と一致しながらも、同時にこの信仰認識を人々と分かち合おうとする。
オリゲネス
アレクサンドリアの裕福な家庭で育つが、父レオニデスがセプティミウス・セウェルス帝のキリスト教徒弾圧によって殉教し、財産を没収される。
この体験から、オリゲネスは学問探究を目的としない信仰教育や、迫害の下で苦しむ洗礼志願者の世話に献身し始める。彼の厳粛で禁欲的な一貫した姿勢は、エウセビオスの『教会史』で「彼の示す生活態度はその講義そのままであり、彼の講義はその生活態度そのままであった。...彼はあたう限り最上の哲学的生活を貫き、あるときは断食によって自らを鍛錬し、また睡眠時間を捻出したときもけっして寝台ではなく床の上で睡眠をとる配慮をした」と伝えられている。
また彼の友人のアンブロシオスが交代勤務する7人の速記者と同じ数の書記という人材を整えたことで、生涯に渡りおよそ二千篇の著作を残した。
オリゲネスはアレクサンドリアで信仰教育の学校を開き、その学問研究の上級部門を設ける際に、プラトン主義者でキリスト教徒のアンモニオス・サッカスに師事してギリシャ哲学を学んだ。
オリゲネスは自分の司教の同意を俟たずにカイサレイア(パレスチナ)で司祭の叙階を受けたため、アレクサンドリアの司教デメトリオスとの間に軋轢が生じ、カイサレイアに活動の場を移す。
その後デキウス帝のキリスト教迫害のさなかに投獄され拷問を受け、それがもとで他界した。
オリゲネスの聖書解釈の前提となっているのは、旧約、新約聖書の全文書は究極的には神の霊に由来する一個の完結した全体を成しており、そのために聖書のおのおのの箇所は他の箇所に照らした相互的な解釈において初めてその意味が完全に明らかになるとする思想である。
オリゲネスはプラトンと同様、感性的なものをすべて精神的現実の存在論的表現、あるいは模像として捉えていた。 主著『諸原理について』では、第一巻で神と霊的世界、第二巻では物質的世界と堕罪及び救済、第三巻では自由と徳、第四巻では聖書と神学的認識という主題を論じている。
不可変かつ不可捉な一者である神からは、その像でありすべての理性的なるものの原理である御子と、理性的存在者の聖化の原理としての精霊とが永遠にわたって生まれ出る。このような神の内なる三位一体の位階の下には、諸々の純粋な精神の被造世界が位置付けられる。これらの精神は自由意志をもって神に背く限り、彼らの浄化のために創造された時間的・物質的世界へと堕落し、その罪障の深さに応じて物質に縛り付けられる。人間の魂もまた肉体に先立って存在し、罪によって肉体をまとう。神は慈愛に満ちた摂理を通じてすべての被造物が再び神自らに立ち返ることを望み、そのため御子が汚れのない人間的魂と結合するという形で世に遣わされたのである。キリストはすべての認識(グノーシス)の源泉であり、彼による救済は精神をそれ本来のあり方へと立ち戻らせ。再び神と一致することを可能にする。 オリゲネスは神の無限の善性を重視し、グノーシス主義の二元論とは異なり、悪を自由によるものとして捉えたため、悪霊さえ含むすべての存在者の最終的な救済を考察するに至った。 オリゲネスの聖書解釈や神論、および神秘思想は、ギリシャ教父たちの神学の基礎となり、ラテン中世思想にまで大きな影響を与えた。
参考文献:『中世思想史』クラウス・リーゼンフーバー 平凡社ライブラリー