アメリカ史
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※Discordの自分の文章を丸写ししたのが原型です。
気になった部分は訂正していただければ。
目次
2.独立と産業の躍進 ピルグリム・ファーザーズとクェーカー教徒
3.進化論、第一次大戦。神無き時代の「自由主義」
4.第二次大戦と冷戦、ベトナム戦争。挫折を知らぬ国
1.アメリカ史前史ーカルヴァン派への迫害
さて、合衆国の独立前のお話。
この考えが「勤勉」「天職」なにより
「仕事は神聖」「稼ぎは稼ぎが目的で、お金を使うことではない(!?)」という、
色々やばめの思想の原点となりました。
カルヴァン自体は素直な神学者に思えますが、まあ後世の人がどう考えるかは別物です。
「神が誰を最後の審判で救うかわからない」
👈
「しかし神が全く現実にその痕跡を残さないとも考えられない」
👈
「そして、私達はみな役目を負っている。それは仕事と呼ばれるもので、役目を大事にするのは神も望まれている」
👈
「だから、もし神がその人を祝福するならその人は仕事で成功し、逆にその人が神に背くなら仕事でも成功しないのではないか」
🤔
「それゆえ、神の真意を知りたければ働くのが良い。熱心に。その成果は、収入は神の好意”かもしれない”。神の真意はわからない。だから、我々クリスチャンは働き続けなければいけない。
それが天職と信じ、役目を真っ当すべきである。
そうして生涯を誠実に過ごすことが、神に近づく可能性ではないか」
🤔
この発想の面白いところは「稼ぎは重視するのに、使うという発想がない」所です。
なので、カルヴァンは投資を好みます。
お金に価値はありません。
ですが”お金を増やすことに価値がある”と彼らは主張します。
それのみが神意に近づく方法だからです。
こうして、お金をひたすら増やすという「独特の宗教」がまず確立しました。
この考え、とても資本主義と相性が良いのですよねぇ。
後の「株」の誕生とあわせて、カルヴァン派はおそるべき力を持ちます…… さて、こんなカルヴァン派は「教会を大事にしない」とか、まあ他にも色々と尖った考えなので各地で迫害されました。
カルヴァン派は各地に散り、それぞれの名前がつきました。
カルヴァン派は地域によって呼び方が異なり、フランスではユグノー、オランダではゴイセン、スコットランドではプレスビテリアン、イングランドではピューリタンと言われた。
さて、各地でカルヴァン派は警戒されました。
しかも彼らはお金を蓄えるだけ蓄えて使わない「危険組織」です。
カルヴァン派は各地で迫害され、そこそこの割合の人が合衆国へ逃げました。
まだ独立前のお話ですね。
2.独立と産業の躍進 ピルグリム・ファーザーズとクェーカー教徒
宗教がすべてではないと断りつつも、
カトリックはまあ普通の宗教者なのでお金はむしろ嫌いです。この辺で差がつき始めましたね。
この辺は今では否定された説ですが、わかりやすいので一旦このままで。
そして、どういうわけかこの人達は禁欲的な上に勤勉な信仰を持っていました。
この人達の「仕事観」は想像したくないですね。
勤勉であることは天国に向かう道です。
”逆を言えば”お金を稼がず、仕事はほどほど……などという人は、
天国に行こうとしない人達です。
「助ける価値なし」と考える理屈はわからなくもありません。
合衆国は、「社会福祉」という考えがわからないまま大きくなりました。
社会主義が力を持ったドイツはカトリックの力がそこそこあり、英国は英国国教会という「カトリックと似た」 少なくとも予定説を持たない宗教の国なのは注意を引きます。
要するに、合衆国は宗教的にワーカホリックになったのです。
逆にそうでない英国なんかは真面目に福祉政策が進み、社会主義も許容されました。
3.進化論、第一次大戦。神無き時代の「自由主義」
こんな感じで「天国のために働く」が信条のプロテスタントに危機がやってきました。
進化論です。「神によって人は作れた」という話と「人はサルから進化した」は矛盾します。 ヨーロッパではわりと議論にならなかったこの問題が、合衆国ではめちゃくちゃ燃えます。
理由はなんとなくわかりますね。「働く理由」「生きる理由」が宗教由来だからです。
ヨーロッパ的には「ちょっとぐらい宗教が間違っていてもええか」ぐらいの感性で生きてきましたが(それこそカトリックとプロテスタントの分裂とか)、
合衆国はずっと上流階級はプロテスタントで通してきました。
彼らはカルヴァン派の名前はなくなっても、その精神は引き継いでいます。
そんな彼らに「聖書って間違っているんじゃない?」は致命的でした。 合衆国の各地で討論会が行われ、議員は進化論支持と不支持を口にしなければいけませんでした。
聖職者と聖書学者の討論を人々は固唾を呑んで見守りました。そこに自分たちが生きる理由がかかっているからです。
残念ながら、理屈で聖職者は勝てませんでした。
そして、理屈で神を信仰していたプロテスタントの人々も心が折れてしまいました。
この時、討論会で負けた聖職者はボコボコにされています。
しかし、神がいなくとも生活はしなくてはいけません。
「それでも神はいる」という風に閉じこもる人もいたそうですが(しれっと誕生する原理主義)、 まあ多くは「宗教は仕方ない」と折れました。
ただ、今までの精神はそのまま生き残りました。
「働くことが立派」「仕事は人生そのもの」「収入は神聖」
彼らは”頑張り”をあくまで重視した……
というか「弱者を守る」という発想が本当に入ってきませんでした。
カトリックの視点でみればお金は卑しく、施しこそが神聖です。
そしてこの発想は「労働者の保護」を掲げる社会主義とも相性が良かったのでした。
なので宗教と社会主義の混合がしばしば起こりました。
この辺の人たちは「宗教は少しぐらい違っててもしゃーない」とは思いつつも、
「キリスト教の基本は弱者の保護」と考えていました。
このいい感じのさじ加減の結果、カトリックは上手く進化論の荒波を乗り越えました。
同時期、ドイツでは「プロテスタントの地域だけ妙に自殺率が高い」というやばいデータが出たりしています。
宗教は人を活かしもするし、殺しもするのです……
4.第二次大戦と冷戦、ベトナム戦争。挫折を知らぬ国
こんなゴタゴタの中、世界恐慌やらがやってきたり、合衆国は実際大変でした。
合衆国では自動車が普及したりしました。
とはいえ、フォードは労働組合を弾圧したり、とてもアメリカンな発想をする人でした。
一貫して弱者保護の視点は、合衆国には入ってきませんでした。
そんな歴史のあと、第二次大戦と冷戦を合衆国は経験します。
ここでも「極端な社会主義」共産主義が敵方として名乗りをあげました。 こうなればもう合衆国は「自由」の道を歩まねばいけません。
「労働者の保護を」と訴える人は逮捕されたり追放されたりと大変でした。
それこそ労働者の悲哀を描いたチャップリンが「共産主義者」認定を受けて海外に逃げる状態です。 (まあ原因は色々ありますが、『黄金狂時代』はやはり勇み足でした)
参考
マックス・ヴェーバー『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』
堀内 一史『アメリカと宗教 保守化と政治化のゆくえ』
アルバート・C. ウェデマイヤー『第二次大戦に勝者なし』