ほねまつり
議論についての議論や、コミュニティの運営論などが話題になった。 あとは、仏教の話(「核を捨てろ」)とか。
議論の話と「核を捨てろ」の飛び具合が笑
前半参加してないし、よく覚えてないので、ざっくりした話題について加筆希望です。(この行は加筆が見られたら削除予定) 初動
骨丸さんがアープラを作った理由
アープラのよさについて
骨丸さんからの質問「不在の間になにか事件はありました?」
議論態度と自治について
個人間の問題“が”介在してしまうこと、どうしようもないね。
「アープラのここが不満」とか「もっとこうなればいい」みたいなのはありますか?
アープラをもっと良くするためには?
新参ロール再考、新参目線のアープラ
案内役みたいなのをつくったらどうか?
絶対規則はもっと見えやすい位置にあってもいいかも
アープラ運営・運用論
いかに、問題に対応するコストを低くするか
規則を明文化しすぎると独裁国家なのに法治国家みたいな反論出そうだよね
王位継承運動
王位継承を王から言い出さなきゃいけないのむずいよね
革命、クーデター制度
インテグラル王政権、めっちゃ安定しててすごい。
けど、長く続いてると負担もあるんじゃないか。
OCとDiscord、プラットフォームの違い
アープラはマルチプラットフォームなのが強い
付かず離れず、きままに参加するアープラ
「どういうメリットがあれば管理人をやりたくなる?」
こういうのがいい!(大喜利)
メリットとかではない気もする
能動的な参加の方がなんかいいよね
そもそも管理人住人の仕事わからん
シソテツのコミュニケーションの特異さ、よさ、バーチャルペルソナの話
“誰かがいる”という場としての良さ、交流が長期的
学校から帰って遊びに行った、あの日の放課後の公園だなぁ……(cman.icon)
価値観や感性みたいなのが近い気がする
でもそれによって選民思想みたいなのに陥るのはよくないよね
普通にやってたら殴り合いになるような話でもできる
たぶん、それは肉体性が排除されているから
あるいは、基盤を共有してるから
議論の話と二重性とか
議論の方法の話
殴り合いみたいなバチバチの議論もある
でもやっぱ、気遣って引く、みたいなことはしてしまうよね
「むきだしの自分」みたいなものでぶつかっていきたいと思ったりする
欲求(エゴ)する自分と抑制する自分の二重性
電車に乗る時人を押しのけて入る自分と、そうしないようにする自分の板挟み
自分にある欲求も抑圧も、存在は認めておいたほうが苦しくならないかも
思考が発火することについて
「批判・反論」と「論破」の違いは?
「論破」する人は議論するというより発信者かも。
本当はそこにある文脈を知りたいだけなんじゃないか?(相互に理解する衝動がある、という前提)
相互理解の前提に立つと、質問に戻ってくることが会話に必要かも
『議論可能な領域』と『議論不可能な領域』というのはおそらく誰にでもある
『議論不可能な領域』は排他的になる。それが自分の「核」かも
自分の中の「核」を意識するのが重要なんじゃないか
そうすると不毛な議論にならなくて済むかも
骨丸さんは相手の「核」を検知するセンサーが鋭い(そこに踏み込まない)
センサーがあると、「核」以外の部分をいっぱい引き出せるよね
包含する姿勢(ポーズ)を見せる、みたいな議論の作法があるのかも
自分が律儀に守ってるほど、守られてないと怒りがありそう
仏教の話
「核を捨てろ」
これをするとよくなる?けど、それは即身仏で、いきてけないよねみたいな話 自分の感覚にきづかながちな人、意識してないとこういうのに逃げちゃうかも
ラーメンの画像を貼られて初めて「お腹へった」と思うような人
ラーメンの画像が貼られ、久住さんは飯テロリストとして逮捕される。
修行して色々断って、「当たり前じゃない」って気づくと感謝が生まれるのかも
ほねまつりは、骨丸さんがいなかったからこそ出てきた企画だもんな!
骨丸さん不在のアープラ
いなくても回るようなシステム構築が必要
アープラノートはadminが引き継げば復活できる
アープラノートにいるのは久住さんのファン。
アープラの管理人になったりするのは、骨丸さんのファン。
ファンとして理解者である人がいるほど、運営者が抜けてもどうにかなる であれば、アープラ内では「骨丸」というコンセプトは崩さない方がいい。みたいな。
ラーメンたべたい。
解散 2022/01/08 2:30