Ban論
面白いなぁと思ったのは
banの練習
banの練習というところから、「避難訓練」というアイディアを思いつく。絶対やらないけど。uvoa.icon
予告どおりの時刻に、禁則事項or行動規範のなんらかの違反をするユーザー(ユーザー名は「避難訓練」にしておく)が入り込み、なんかやらかす。それを速やかに指摘、連絡、BANをするという練習。
そもそもDiscordのToSにも違反しそうだしやらないけど。 私が考えてたのもだいたいそんな感じです→(避難訓練)
ディスコードの規約に抵触するとなると、問題は規約抵触によってアープラに損害が出ることなんだから、それを避ければ良い。一つ、banをするところまではやらない。二つ、ディスコードにban練習用サーバー(訓練所)を用意してそこでやる。
banをしたりするにあたりなにが面倒なのかを思うと、たぶん報告や聞き取りあたりだろうから、何を確認すべきかなどまとめておけばそのチェックリストの出来次第では練習も要らないのかもしれない。
練習をするとなると、練習に協力ないしは監督する人も要るだろうから、監督者の選別や監督者による練習への評価まわりも気になってくるな。
指導まわりを私が気にしているのは、活動や運営を長期化するには、人員の入れ替わりに耐えうるものがなければならないと見なしているからだ。アープラの理念はそれさえあればコミニュティが再生可能なものとして謳われているが、理念ってのはそんなに便利なもんなんかって疑問がある。
一回の買い物で数千円の本をついついカゴにぽんぽん入れちゃったり、コロナがーオリンピックがーとか賑やかになってる間に「んなことよりパラダイムって結局なんなんだよ」「んなことより二次元の女の子に恋をするってどういうことなんだよ」みたいな関心をもつ、アープラでもよく言われる「少数派」がアープラにたまたま寄ってくる。日本ではこういう「少数派」が湯水のように湧き出てきて、さらにアープラに常にその「少数派」が入ってきてくれるんなら、なんの労も要らないと思うが、たぶんそんなことは無い。ましてや管理運営の即戦力になるような人は。
となると、功労者へのエコ贔屓というわりと高度な対人テクニックを要するだろうやり方をとるよりかは、なにがしかの手引きを用意しておいて、とりあえずこれを参考にしてねってやるほうが良い感じがする。たとえ「マニュアルという一般的なものは個別事例に対応しきれない」というよくある話を持ちだされようとも。
banに限った話でもないからここに書くのはスレ違いかもやが笑(五番地)
マニュアルはもう正直必要だと思ってます笑。属人化することによる諸々の弊害が現に現れているようなものですから。uvoa.icon
あらまぁ。たぶんそれはマニュアル化だけじゃあどうにもならんですね。つーか、特定の人によるbanが問題なら、その人たちから権限をとりあげるほうが早くないですか。 banマニュアルはその後のban業務に活かされこそすれ、その人たち自体になんの影響力もないでしょうから。影響力がありうるとすれば、「これに従ってやっていきましょう。そのうえでどんどん加筆なり減筆なり修正なりしていきましょう」って方針になったときでしょうね。
一般的なものとされるマニュアルは、あらゆる個別の事態をあらかじめ網羅していはいない。或るとき或るところ或る人が関わる或る事態への、一般的なマニュアルに載ってる或る箇所の適用は、いかにそれをするかというのが難しいように思う。 少なくとも、マニュアルが在るだけでそれなりの人数が問題なくマニュアルを個別の事態へ適用できるようにはさせられないだろう、という点で難しい。
マニュアルは現に色んなところに存在する。それらのマニュアルは、たとえば自分が機械の操作をしているとき、不具合が生じていると判断できるときに参照されるだろう。この場合、適用にまつわる困難は軽減されるだろう。手引き書のどこを見るべきかがわかっているし、マニュアルが適用されるべき事態がハッキリしているんだから。
となると、今回で言えばbanのマニュアルだが、マニュアルは「こういう事態が起きた→まずうまうまを確認せよ→しかじかである→かくかくを確認せよ」といった形式が良いのだろうか。
banマニュアルが存在するとして、それが使われるのはいつか。
禁止行為あるいはそれに近しい行為に居合わせたとき、苦情報告を受けたとき。
その後にbanマニュアルを見て参考にしながら実際に相手に確認のためとかで文章を入力するんだから、どのような順番で「こういう事態が起きた」というステップからの対応の流れのセットを並べるのかは、使えるマニュアルを作るためには大事だろう。たいていは文章ベースの対応になるからそこまで速さは求められないだろうが、実際に使うにあたってはそういう「検索」のし易さは大事だろう。
一般的な規則を個別の事例へ適用するのが難しいというのは、その適用の規則自体はまるでハイデガーの記号論(『存在と時間』)のように規則化できないからだ。適用の規則の読み解き方の規則の……となったらわやくちゃだ。こういうところで「飛躍」が不可避となるなら、この「飛躍」が不可避であることにともなう怨嗟まで相手にしてられんし、実際、飛躍は不可避だろう。 他人をbanすること自体への心理的ストレスとかは知らない。マニュアルに従えば及第点は固い、みたいなマニュアルが作れたなら、それなのに「心理的苦痛」がどうのとか言うのはもうその人の他人との付き合い方とかの話。正直、バカバカしい。マニュアルが在ることが解決しうる「心理的問題」は、対応者に責任を乗っけさせすぎない(「マニュアルが悪い」という「正当な」怒りや不満の吐け口を用意してやる)とか、なにをどうすればよいかサッパリというところからくる不安を軽減するくらいだろう。
マニュアルに載っける一文のために「なぜこの一文をマニュアルページのこの箇所に載っけたのか」で少なくとも3000字くらいで答えられるようにはありたい。字数は比喩だが、マニュアルに従って他人が他人に対応することの重みを思えば、そんぐらいの準備はやるのが義理人情(?)ってもんなのかな、どうなんだろな、という感じがあるから。これはあくまでも五番地のスタンス。当然やが。
banマニュアルが出来たとして、それが効果を持つのは、banに携わる人すべてがそのマニュアルに従って対応するときだろう。そうするとマニュアル外の対応をした者はマニュアルを無視したことになる。これは軽率なbanを防ぎうるが、ban権をもつ人のいわゆる「自由(任意性)」を制限するものであり、ボランティアで管理をやってる人の意気を削ぐものでもありうる。「堅苦しい」とか言って。どのみち不平不満は出るもんだが、さてさて。
適切なban、丁寧な報告をした者を月に1人選び、その月間最優秀banistaに図書券をプレゼント、みたいなんがあったら、「チャンスがあったらやろう」みたく色んな人がban対応したがるのかな笑
図書券は冗談だが、功労者への恩恵って実際上は無い点がアレだなってのはある。いちおう絶対規則だか理念だかには書かれているけど、「知的な」人ってたいていコミュニティでの尊重やなんやってのを軽視しがちな感じはある。顔を立てるとかそういうの蔑ろにしがち。
報酬が何が良いか、、、一人好きなやつをBANして良い権限とか
banに積極的ではない人で思い浮かぶのって私にとってはくま子さんなんですが、あぁいう人は、周りから認められる、自分の地位が安全なものであるみたいな状況を好むのかなぁと私は思っています。居心地が良いものみたいな。だからたぶん、功労者ロールみたいなんつけて「この人はアープラのためにとても良くしてくれてる人だ」みたいなんを視認できるようにして、「功労者ロール持ちを大事にしよう」みたいなんがより周知されるほうが良いのかな、みたいなんは思います。
現状、「功労者を大事にしよう」みたいなんは絶対規則だか理念だかにありますが、最近に来た人からすれば誰が何をしてきたのかなんてわからないし関係ない。そして、「そんなん知ったことか」で通る状況がある。「そんなん知ったことか」で通す人の皆んなが皆んな、何かに詳しかったり、分野横断について意識していたり、管理運営に積極的だったりなら問題は無いですが、そんなことはない。そこを、功労者ロール(例えば、ですけど)ってのを用意することによって、規則化とまではいかないまでも現状よりは「功労者を大事にしましょう」ってのが有効になるんじゃないか、みたいな。
功労者ロール持ちの◯◯◯さんが哲学板の初期に居たような勢いだけはある奴に絡まれる
→五番地「こんばんは。◯◯◯さんは功労者で良くやってくだすってる人なんで、内容はともかくもうちょい口の利き方に気ぃつけろください」
→◯◯◯さん「いやいや、大丈夫です。勢いだけはある奴さんがこれで話しやすいなら僕はそれで」
→五番地「そっすか。◯◯◯さんがそう言うなら。お邪魔しました」
ってな感じで、気ぃ遣うようにする、功労者の面目が立つようにするとか。相手に直接に注意しなくても、話を広げる方向に変えるレスをするとか(このあたりはパルスさんとかばるさんとかがわりとやってた印象がある)。
功労者ロールがあることは、特定の人への肩入れが不自然ではない状況、自分による肩入れをビジネス肩入れであると説明しうる状況を作ることにもなる。「仲良しこよしかよくだらねー」「付き合ってんのー? ヒューヒュー」みたいな揶揄いや煽りに対して、「いやぁアープラはそういう方針だからね」と躱すのが不自然ではない状況を。私が誰かの相手をしてるときシスルさんが丁寧に補足をしてくれていたが、あぁいうの、嬉しい人はすごい嬉しいと思う。しかしあれはシスルさんの決断みたいなんが強く出ていて、「(自分が好んでもいない)特定の誰かに肩入れしてそれを周りに見られるのがイヤ」みたいな藤崎詩織タイプの人にはできない。そこらへんを軽減できるのではないか。