こころの専門家とは何か
こころの専門家とは何か。まず思い浮かぶのは、心理士、精神科医、心理学者、脳科学者などが挙げられる。昨今、心の問題や人間関係の問題の解決を提示するような書籍をよく見るが、このような本の著者は上記の専門家であることも多い。だが少し視野を広げてみると、哲学者、作家、僧侶などはもちろんのこと、キャバ嬢など水商売に従事している人や教員など、人と関わる仕事をしている人も人間の心理に対する深い知見を有しているといってよいだろう。さらにいえば、人間一人一人がこころの専門家であるといえる面もあるのではないだろうか。なぜなら、自分のであろうと他者のであろうと、こころと接していない人間はいないからである。こころといつも向き合い続けている以上、そこに何らかの知見は生まれる。現に人間だれしもが、自分の経験に基づいたこころの処世術を多かれ少なかれ有しているのではないだろうか。 実はこのように言えてしまう所が、「こころ」を問題にする時の特徴なのである。例えばこれが数学であれば、専門家と素人との境界線はよりはっきりしたものとなる。直接的な意味で数学に接していない大人は五万といるが、こころに接していない大人はいない。数学について、ある数学の専門家が知らないことを、普段全く数学のことを考えていない人間が知っているということはまず考えにくいことであるが、こころについて、心理学者が知らないことを、素人が知っているということは全然ありうることである。
このようなことが起こる原因として、一つ考えられるのは、数学という対象は範囲の輪郭が明確に定まっており、そこに触れるか触れないかというのははっきりとした事態だからである。一方、心理学とこころの範囲は重なっておらず、こころの方がより広い範囲を包括している。心理学というのはこころという広い範囲のほんの一部を扱っているといえる。それゆえ、こころについて、心理学者が知らないことを、素人が知っているということは全然ありうることなのである。作家やキャバ嬢などは、心理学ではなくこころに精通しているということが言えるだろう。そうならば、最初からこころと心理学は別物として分けてしまえば簡単なのである。しかし現実はなかなかそうはいかない。世間一般的には、心理学の専門家=こころの専門家であるというイメージは浸透しているからである。心理学を学んだことが無い人ほどこのようなイメージを抱きやすいともいえる。(このようなことは心理学に限らず往々にしてよくあることである。つまり知らないと過剰なイメージを抱きやすい。)ただもちろん心理学も土台としては、こころを対象にしているのは事実であるから、元々きっぱりと分けるのは無理なのであるが。
だが、素人が心理学者や精神科医は人間のこころを知り尽くしているんだという誤った過剰なイメージを抱きやすいということとは反対に、過剰に矮小化されたイメージを一方で持たれやすいということもあるというのは実に興味深い。つまり、「カウンセラーっていったい何やってんの。ただ人の話聞いているだけでしょ。それなら自分にもできるし、私は親友に話聞いてもらうし、いつもキャバ嬢に話聞いてもらってるからそれで十分。」というものである。実はこの考えはあながち間違いではない。というのは、近くに話を聞いてくれる人がいて、それで満足できるならばカウンセラーは必要ないのである。ただ近くにそういう人はいないという人や話を聞いてくれてもそれに不満があるという場合にカウンセラーが必要となる。「友人とカウンセラーの違いは何か」という問題は、きちんと答えようとするとかなり難しい問題であり、大学院入試の記述問題になるほどである。もちろんある程度の知識があれば、それらしいことを並べることは簡単であり、違いもいくらでもあるし、大学院入試への回答としてはそれで充分である。しかし、より本質的に考えていくとなるとより難しい問題とはなってくる。この問題は例えば、精神分析的な事象が精神分析の中でなければ生じないのか、それとも日常的にも生じ得るものなのかという問いにも繋がるものとなる。ただこの矮小化のどこに問題があるかと言えば、専門家の専門性をも抹消しようとしている点である。他の人で用が済むという問題と専門性がないという問題は別のことだからである。