『灯台へ』読書会ノート1
雑記 てきとう
読書会に書くことを聞く
登場人物
「意識の流れ」ってなんよ
「意識の流れ」っぽいライン
描写がいい感じのとこ
絵に描いてみよう
気に入ったところ
この小説のキモ
構成
視点
分量
灯台とは
スコットランド 別荘
一部
ラムジー父の変化
戦争?
描写とお互い頭の中で考えていることの混ざり
美しい描写
登場人物、それぞれの思考
それぞれの登場人物によるそれぞれの思考の交感
例えばリリーとバンクスによるそれぞれのラムジー夫人のイメージの語り
複数の視点による語り
調理台をめぐる哲学と芸術の見方
p53 誰が話しているのか
ラムジー夫 合理性 真理追求 哲学 感情的 狭量 率直 怖い 気遣いできない ある意味正直で公平? 父性
ラムジー夫人 非合理性 他人の感情を尊重 気遣い 人間としての品位 包容力 信頼 おせっかい 支配欲 頑固 強さ 一方偏った見方がある 怖い 自分の意見を通させる 母性
ジェイムズ 父への憎しみ
同情の念
夫婦間 同情 妻への依存 妻の嘘 誇張
夫人 虚栄心の悩み
ラムジー 熟考の足りなさ 家族の慰めに頼る
バンクス、恍惚
女には書けない(たんずりー)
夫人の本質を描く
夫人を絵にする(悩み、リリー)
結婚観
p92夫人のエッセンス(手袋のねじれた指)
他人と一つになれない
リリーの絵 印象派?抽象画?
p98 リリーの絵の本質
人間、子どもの動き、感覚、描写の丁寧さ
大人になるとなくす子どもの感性
おせっかい 支配欲
憂鬱で捨て鉢でも、楽天的で幸福な夫
不安、矛盾
登場人物の思考を描写することで他人との断絶が表現される
孤独、疎外、不安
p116 117ひとつにまとめあげる力→灯台の灯り
われらは神の御手(おて)にあり
理性も秩序も正義もない、苦しみや死、貧困のみ
それぞれ言い出せないこと、思っていることがある。近寄れない領域がある。しかしお互いなんだかんだその全体を認めている
孤独な研究と家族の対立
p130 ラムジー 日常的なことは見えず 超俗的なことに鋭い
目の前の花は見えているか?
内的独白によって登場人物間の隔絶と不安が垣間見えるが、部分的に意識の共有もある。その見えない部分も含めた全体を認める態度、全体性がある
登場人物の意識の流れにより脱主体的になるが、全体が解体されるのではない 意識の流れ、それが全体の秩序になっている
ひとつの流れ、秩序に向かう 灯台?
本質が形づくられる瞬間その輪郭は消え去る
波のように
p135 つかみどころのない空気が〜
p141 二つの感覚の対立〜
ミンタ ポール 付き合いそう
ナンシー アンドリュー
p146 ポール 結婚決意 灯りのイメージ
鳥撃ち 残酷
17章 複数の意識の交錯
p156ラムジー夫人 男たちの不毛さ
ラムジー夫人 偏った価値観
ラムジー夫人→バンクスへのあわれみ
リリー→ラムジー夫人への観察、バンクスはあわれみなど必要ない
ラムジー夫人 男性→欠けている→憐れみ 女性→持っている→憐れみは向けない
タンズリー→女性の欠点について、女性軽視
バンクス→型にハマった夕食が苦手 時間の浪費 家庭にある夫人の無意味さ、魅力を感じない
退屈さ、うんざり
カーマイケルだけ何を考えているかわからない
p182灯り 一体感
ミンタ ラムジーへの恐れ(無知を装う)
p192 相反する感情
カーマイケル 朗誦
p213 流動性 秩序づけなければ
自分は変化 自然 動かない 動く
10/2 VCメモ
五感を刺激する文章
主役不在になる
主体性の解体
海 イギリス人たちにとっての海とは?日本人にとっての海
文章、ベケットに似ている
シェイクスピア
一日→10年→一日の話
源氏物語的文体可能性
源氏物語を翻訳したアーサー・ウェイリーがブルームベリー・グループでウルフと親交があったので、ウルフが源氏物語の文体に影響、もしくはイギリスでの源氏物語の翻訳にウルフの文体が影響を与えている可能性もある
二部
一家の不在の世界
一部との対比
変化する、複数の意識はなくなり、自然が支配する世界
語り手
闇
神?
静寂
静寂のハーモニー
静寂というより、自然が雄弁になるのか
自然の侵食、ざわめき
いきいきとした描写
風が生き物のように
海
風
戦争
マクナブ婆さんの追憶
三部
リリー 44歳
ラムジー父 恐怖の対象 奪う 同情を求める
ラムジー夫人 与える
男 奪う 女 与える
ラムジーの求めに対するリリーの断絶
靴(靴への意識はリリー✖️バンクスでもあった)
平穏さ
靴紐に夢中なラムジーへの哀感
ラムジー氏の人生にリリーが手出しできることはない
リリーのラムジー氏への理解
ラムジー氏はあたかも悩みも野心も脱ぎ捨て同情も賞賛への欲望も放棄して好奇心にのみ引き摺られ見えない何者かと黙って会話をかわしながら先頭に立って
毅然たる表現
『灯台へ』は、第一部の複数の人間の意識、その中心人物であるラムジー夫人、第二部にあるその不在、第三部でリリーはラムジー夫人のヴィジョンを定着させることに成功する
第三部は灯台へ向かうラムジー親子と残ったリリーのシーンが章ごとに交代して描かれる
「距離」(ディスタンス)の力の話がある
p372 11章
冒頭にあるジェイムズの灯台行きの願い。長い時間を経てラストにジェイムズは灯台へ到達する構成になっているが、ここにも距離の概念がある(遠くに見えていた灯台が、ラストにジェイムズの前に現れる)。
最後にラムジー夫人(の亡霊?)がはっきりとリリーの前に現れたが、これも喪失したラムジー夫人とリリーの距離がなくなるということになっている。
時間の距離という概念もあるが、空間の距離の話でもある
具体的には、三部でのリリーとカーマイケルとの距離など。この二人は三部では同じ空間に所属しているが、絶妙な距離感で関係が成り立っている。カーマイケルの特徴は沈黙で、二人は特にコミュニケーションをとることはない、リリーは意識しているが(同じことを思っているのではという意識の共有の面も見られた)