『新古今和歌集』
勅撰和歌集
成立は1201~1221
鎌倉初期、後鳥羽院の命によって編まれた8番目の勅撰和歌集
撰者は五名
源通具
藤原有家
藤原定家
藤原家隆
藤原雅経(飛鳥井雅経)
建仁元年(1201)以降、和歌所寄人らに和歌撰進の命が下り、建仁三年ごろまでに入集候補作が集まる
後鳥羽院がこれをさらに精選し、撰者が部類し目録を作成した
元久元年(1204)の三月に「新古今和歌集竟宴」が催される(これが成立時と見做される)
このあとも改定がたびたび加えられる
特に有名なのが、承久の乱以後に隠岐の島に移った後鳥羽院がさらに四百首を除いた隠岐本
歌風
万葉集から新古今時代の作品を収めており一様ではない
中心は新古今時代
本歌取りの技法が多用される
観念的・幻想的な作品が多い
最多入集は西行
その選出の方針は、もとより七代集のあとをついで、後世に傳ふべき一大歌集を撰ばうといふ大なる目的からして、主として、歌の優れたのを集めるのを旨とした。
その選出の材料としては、まづ萬葉はこれを用ゐたが、古今以下の七代集にすでに選ばれたものはとらず、それらの作者の歌は、家集その他から別に採つた。殊に本集の特色とすべき點は、後撰以来の勅撰集とは趣を異にして、後鳥羽上皇をはじめ、五人の撰者以下當時の作者の歌を多く選んだことである。これは、古今集の方針と同じであつて、けだし當時の歌人の抱負の大きかつたことを示すものである。したがつて、撰者等がこの選出に苦心したことは非常なもので、定家のごときは、その日記なる明月記に、「右目大腫、撰歌之際眼精盡歟」と記してをる。
岩波文庫版『新古今和歌集』佐佐木信綱による緒言
三夕の歌(巻第四・秋歌上、361~363)
さびしさはその色としもなかりけり真木立つ山の秋の夕暮れ(寂蓮法師)
心なき身にもあはれは知られけり鴫立つ沢の秋の夕暮れ(西行法師)
西行
見渡せば花も紅葉もなかりけり浦の苫屋の秋の夕暮れ(藤原定家)
みんなはどの歌が好き?
/issac-37765679/『新古今和歌集』で気に入った歌
13世紀
https://youtu.be/7JA_4twsyZ4?si=NhMTGuycbZLAGq8c