『モナドロジー』の36
イタロー.icon
ここでは、作用因は事実の真理、目的因は思考〔推論〕の真理と対応しているのか?
ただ、36では目的因のなかに「入ってきている」とあるし、「魂」の「微小な傾向や状態が無数にあ」るという。
中公訳
「それが私の目的因をつくっている」と訳されている。
なお、中公訳では「状態」ではなく「気分」という訳になっている。→「過去現在にわたる微小な傾向や気分が……」
辞書を引いても"entrer"に「作る」という意味はなさそうだが、「〜になる」という意味はある。現在や過去の「微小な傾向や状態」が目的因に「なる」ってことか。
岩波訳
同じく「目的原因の中に入つて來てゐる」と訳されている。
アリストテレスにおける目的因と36における目的因(作用因)。
36は宿題。
「書いていること」は何を指しているかもわからない。
「私が書いていること」と「私の魂」をわけてるのか? わからない。珍解釈かもしれない。いままでの断章を読み返してはっきり理解しないとわからないかもしれない。 久住哲.icon
この節で分析されることが想定されているのは「事実の真理」である。なので、無限に分析することが可能であり、終わりがない。 現実に起こっていること……モナドロジーで言えばライプニッツ自身の執筆行為……はひとつだが、ふたつの原因の系列がある。