『CURE』感想
黒沢清監督『CURE』は黒沢清の代表作で、日本のみならずヨーロッパでもその名を知られるようになった出世作である 異様なサスペンスホラーとしても話題になったので、黒沢清の他の作品を見てなくても『CURE』を見ている人は多い
昔見た時よりも面白く感じた。昔見た時は高校生だか大学生の時だったか。当時はなんかおぞましいけどよくわからんちんみたいな印象だったが、なるほど、心理学やオカルトの話だったか。普段抑圧されている本当の自分を告白させるアプローチがあり、カウンセリングに近い。CUREとは治療のことだろう。
この作品は心理学と精神医学、催眠やオカルト的な要素が入り込んだ作品で、アープラ向きな作品ではなかろうか。『カリスマ』の時と同じこと言っているが、黒沢作品は日常を舞台にしているが、そういった日常の風景を描きながら「世界の法則を回復せよ」とか「世界がひっくり返っちまうよ」とか言ってるから、まさにアープラであろう。そんなことないか。我々が現実だと思っている場所を緻密にひっくり返してしまうのである。
登場人物はたくさんいますが、主になるのは一連の殺人事件を追う刑事高部(役所広司)と、その事件に関連していると思われる人物、間宮(萩原聖人)です。間宮は催眠術を使います。高部の友人であり事件解決の協力者、心理学者の佐久間(うじきつよし)、高部の妻(中川安奈)なども重要な人物です。
この映画には様々な引用があります
伯楽陶二郎 日本の催眠療法の創始者(どうも実在しないようだが、モデルはいそう)
一連の殺人事件は別々の人物が起こしているが、手口は同じである(X字に首を切り裂く)
一連の殺人を犯してしまう登場人物たちは、間宮との会話がトリガーになっている
会話といっても間宮のコミュニケーションは、「ここはどこ」「俺は誰」「あんた誰だ?」「何が?」「あんたの話を聞かせてよ」とかである。レスバトルに使えるんじゃないか。そんなことないか。
間宮のコミュニケーションは話している人物も我々鑑賞者もイライラする。萩原聖人の怪演が光る
こうした挑発や相手のことを引き出そうとするやり方は間宮流催眠術の一環であると思われるが、そこを意図的にやっているのかが不明
ライターの火を使う(途中水の術もあった気がする)
間宮の催眠術は、過去のトラウマを引き摺り出したり、人間のエス(イド)の部分を表に出したりする 眠っていた暴力性を引き起こすという感じかね
途中間宮が警察の本部長(大杉蓮)に「あんた誰?」と問う場面があり、大杉蓮は「本部長の〇〇だ」と答える。間宮は「誰?」と問い直す。いくつかのやり取りの後、間宮は再度、「本部長の〇〇、あんたは誰だ?」と問い直す。大杉蓮は「君、私の何が聞きたいんだ」と問うが、間宮は「それは自分で考えろ」と言う。間宮は「こいつら何もわかっちゃいないんだ」と嘲笑うが、まあ、確かに「俺が何者か」となった時に「本部長の〇〇だ」は正しいのか。単なる社会的な位置付けでありこれは個人なのか、本当の私はなんなのか。
間宮と話をしたのちに、殺人を犯してしまう登場人物たちは皆社会的地位が高い、もしくは規範的な職業です(教師、警察官、医師など)
間宮という存在は謎が多い
記憶喪失(本当に記憶喪失なのかよくわからない)
メスマーの研究をしていた
催眠に関連するメスマー、伯楽陶二郎は当時は異端、邪教の烙印を押されていた
間宮は「前は、俺の中にあったものが、今は、全部外にある。だから、中にあるものがすべて見える」と言う
間宮の中は空っぽのようだ
自我を喪失している
最後の方で間宮がストーブだかを叩くと病院の金属が反応するシーンがある。あの辺は、よくわからない(磁気的なものかね)
心理学者佐久間が、間宮のことを「伝道者」と呼ぶ
何を、誰に伝道したのか?
実は、本当に存在していた人物なのかは怪しい(と私は思った)
Xというサインはなんなのか
そういえば檻に入った動物が登場する
高部が妻が死んでしまう幻想?を体験する前に、檻を見つめる高部、檻の中の猿、猿のミイラ?(腕がXの形をしている)が一瞬カットインする
クリーニング屋で見る赤いドレスは?
高部(役所広司)は相変わらず一見まともで理性的に見せながら狂っていくような、そんな役
刑事は『カリスマ』と同じ設定だが、規範的である、いかなる時も冷静であらねばならない、国家に忠実であらねばならないというこの刑事(警察官)という職業はポイントになっています
高部には妻がおり、妻が精神的な病気(若年性アルツハイマー?)で、高部はそれに対して誠心誠意務める。これは『蛇の道』と設定と似ている 「今の仕事がひと段落したら、旅行に行こう」というくだりも同じである
高部にとって精神病である妻の存在は大きな負担になっているように見える
高部と妻の関係性は物語のかなり大きな肝です
高部の妻は「私、この話の続き知ってます」「娘は、最後には青髭を殺してしまうんです」と言います
高部夫婦のメタファーになっているのかもしれない
多分『青髭』のあらすじと『CURE』のお話は関係があります
青髭の秘密の小部屋と、高部が最後に辿り着く「部屋」という共通点があります
高部が最後辿り着く廃墟のような場所には、タルコフスキーのオマージュっぽいとこがある
登場人物の部屋の撮影に関してはこだわりがあるように見える
日本にある場所もヨーロッパ映画のような美学で捉えて描ける作家である
あと、音の関わりがあったかな
洗濯機の音
最初、間宮がいる砂浜のシーンがドローンミュージック。いい
エンディングなど
もっと書くことはあるが、 ネタバレもあるし疲れたのでこれぐらいにしておく