「高貴な嘘」についての小並感
「蒙昧主義」の記事にあった「高貴な嘘」という言葉に興味を持ち、(そんなのあったっけか)と思いながら『国家』を読んでみたのですが、第三巻の二十一章にその話はありました。 『国家』ではポイニケ(フェニキア)の物語としてテバイの建国神話を紹介する(第三巻414-17)。他の国民も国民もおなじ母なる大地からでてきたという意味では兄弟であるが、神は支配者になる能力を持ったものに金を混ぜ、その補助者(軍人・外人部隊)には銀を、農夫や職人には鉄と銅をまぜた。しかし時には金から銀が、銀から金が生まれる。重要なのは、金を以て生まれてきた子供を見定めることで、神託では「鉄や銅の人間が一国の守護者になるとき、その国は滅びる」といわれる。また、哲人王は、「高貴な嘘(Noble lie)」を使用してよいともされる。 以上wikipedia
じっさいに読んでみると、けっこう印象が違う。
まずソクラテス(プラトン)はフェニキアの神話物語を語ることをためらっている。 そしてソクラテスがいざ話し始めると、グラウコンもそのためらいの理由を悟る。 というのもその物語は「国民が一人前になるまでに経験し現実だと思っていたことは夢であり、本当はみな地の下にいて、大地の内部で形成され育成されていたのであって、彼らの武器や道具もそこでつくられたものである。彼らが完成すると、大地は人々を地上に送り出した。だから土地を母とみなして大切にし守らなければならず、他の国民のことを同じ大地から生れた兄弟であると考えなくてはならない」というにわかには信じがたい話だったから。
それからwikipediaにもある金と銀と銅と鉄の話になる。
語り終わったソクラテスはこのように言う。
「――さあ、こういう物語なのだが、これを何とか彼らに信じてもらうためのてだてを、君は知っているかね?」
それにグラウコンはいいえ、と答える。
「あなたが語りかけている人たち自身に対しては、不可能でしょう。しかし、彼らの息子たちや、その次の世代の人たちや、さらにその後に生まれる人たちには、信じさせることができるでしょう」
そしてソクラテスはいや、それだけでも、と続ける。
「その人たちが国家のこととお互いどうしのことを、いっそうよく気づかうようになるために役立つだろう。君の言わんとすることは、大体わかるつもりだ」
このような一章なのですが、じっさいに確認してみてwikiの引用だけを読むのとは異なった印象を受けました。
プラトンはここで対話を通じて単なる「高貴な嘘」の正統性だけでなく、「高貴な嘘」のつくられるメカニズムを露わにしており、またソクラテスのためらいといった文学的技法によってその欺瞞性も同時に仄めかしている。
もちろんこの考察も『国家』部分を切り取っただけに過ぎませんが、この『国家』というテクストの記述の複雑性から言って、少なくともたんじゅんに「全体主義または権威主義または「閉じた社会」」「統治上の必要性から人々を無知でいさせる「愚民化政策」であり、反知性主義とエリート主義、したがって反民主主義的なものである」とばかりはいえないかなとは思いました。