「自分で考えて動け」の自己言及パラドックス
久住哲.icon 過去ログを検索していて、こういう投稿をDiscordで見つけた。 「自分で考えて動け」という命令は原理的に遂行できない。自己言及のパラドックスを含むからだ。
ぱっと読んで理解できなかったので、読みながら分解してみる。
ところが、「自分で考えて動け」には、その文自体への言及は含まれていない。ここが第1の躓きポイントであろうだろう。
「自分で考えて動け」における「自己言及」とは何か? それは命令法に関わるだろう。「自分で考えて動け」は命令法のモードで言われている。 命令されている内容は「自分で考えろ、そしてその考えにもとづいて動け」と分解できる。
「自分で考える」とは、この文脈では、「行為の指示を自分で自分に与える」という意味である。
すなわち、「指示を与えろ、自分で」という意味である。
ところで、「自分で考えて動け」という指示自体は、〈他人から〉の指示である。
「自分で」を指定する命令が、それ自体では、「他人から」与えられるという形になっている。
ここにパラドックスがある。ただし、厳密な意味での自己言及ではないだろう。
「自分で考えて動け」と命じられた人は、命令に従おうと思ったならば、どうなるか。
彼は自分で自分に指示を与えようとする。ところが、自分で自分に指示を与えられるのだとしたら、もはや最初の「自分で考えて動け」という指示に従う必要はないは余計なものになる。そこで、自分で自分に指示を与えて動く人は、そのように動いたからといって、「自分で考えて動け」という命令に従って動いているとは言えなくなる。なぜなら、その人はその命令に従っているのではなくて、自分の自分自身への指示に従って動いているからだ。これが「原理的に遂行できない」ということの意味だろう。
ところで、この今の想定では、命令された人は最初に「命令に従おうと思った」のだと想定されている。そうして命令に従ったのだとしたら、彼はすでに、〈他人の考えに従って動く〉といったことをしてしまっている。なぜなら、「自分で考えて動くべし」というのは、命令者の考えであって、命令された人の考えではないからだ。となれば、「命令に従おうと思った」の時点で、この命令に従っているとは言えなくなるのではないか。これも「原理的に遂行できない」ということの意味になるだろう。
このパラドックスの提示、みなさんはどういう意味で解釈するでしょうか?