「精神分析は非科学的だ」という主張の問題点
あまりにも論が大まかすぎる
どういう点がどのように非科学的なのかまで主張されたい
例えば「心の中身を語っている」という点が非科学的であるなど
主語の指示対象が曖昧
理論を指しているのか実践を指しているのか
「精神分析は」という主語を使うのであれば、精神分析固有の特徴について当てはまる述語を使うべきである。 「非科学的だ」という意味が「心の中身を語っている」ということなのであれば、この特徴は精神分析以外の多くの心理療法にも当てはまることなので、「精神分析は」を主語にするのは適当ではない。「心の内面を語る全ての心理療法は、非科学的である」このような主語にするのが適当である。
精神分析を勉強しないで言っている
ある程度の勉強をして、価値も理解してから批判されたい
自分で考えているのではなく、ネットや書籍の受け売りなのだろう
専門家や学者であってもこのようなステレオタイプ的な主張をする方は五万といる
「精神分析は非科学的だ」という主張自体が時代遅れの感がある
かつて「精神分析は科学的だ」と主張されていた時代があった。その時代においては「精神分析は非科学的だ」という主張がある一定の価値を有していたと考えられる。しかし、現代において何らかの形で精神分析に関わっている人の中で、昔のような意味で「精神分析は科学的だ」という考えでいる人は皆無だろう。このような時代に「精神分析は非科学的だ」という主張は空転しており、時代錯誤の感がある。
「精神分析は非科学的だ」は慣用句である。
つまり、歴史的・偶然的・経験的に生成された慣用句と考えられる。
「精神分析は非科学的だ」と主張することで、自分を「知者」の位置に置きたいのだろう。
だが、それは上記のような理由で逆効果となる。自分を「無知」の位置に置いてしまう。