「熟慮の欠如」
「熟慮の欠如」というものを思いつく久住哲.icon 2023/2/5
これは「落ち着きの無さ」と呼ばれるものに近い
読書で、まだ第1章を理解してもいないのに、あわてて第2章を読みだすのは「熟慮の欠如」と言える
ここでの「熟慮」とは
「熟慮」の反対は、対象の見かけに反応して狼狽すること
すなわち「熟慮」は、見かけに翻弄されずに落ち着きを保つことだと言える久住哲.icon
ここでの「落ち着き」は、目の前に起こっていることを冷静に観察して、今起こっていることが如何なる事態であるかの判断をし、その判断にもとづいてその後の行為の段取りを組み立てようとする態度を指す。その際に、目の前で起こっている個々の現象にいちいち動かされない不動さを保っている。
ここでの「熟慮」は、時間をかけてゆっくり計画することやその場で「じっくり」と考え込むことではなく、事態を見抜くことを意味する。この洞察が可能になるためには、事態を予感するための材料からあらかじめ事態を構築しておかなければならない。「世で起こりうる事態」についてあらかじめ概念を持っていなければならない。例えば、「性別を聞かれると困ってしまう」という人がいる。
何が言いたいかというと、事態を見抜くためには、様々なことを知っておかなければならず、それらの知識は即座の洞察に使えるようにあらかじめ統合されていなければならない。この整理作業は、長期的な〈じっくり〉としたものである。
人格主義的態度によって因果を人格に還元するので無く、その事態の過程について物理的な要素に還元することができるかどうか、あるいはその事態を目撃してその諸現出を予期できるということかしらかりふぁ.icon
久住哲.iconそうではありません。私の文章が混乱したものだったので、いつか書き直してみます。
じっくりとした整理作業とか統合とか、例えば授業ノートみたいな活動で意識的にやりはするが、無意識的な部分が多い様な気もする。かりふぁ.icon
久住哲.icon「無意識」という言葉を私は使わないけれど、かりふぁ.iconさんの言うことに同意する。すなわち、実際に言語化される部分より多くのものが反省的な作業を構成していると、私も思う。
課題と思われるものを箇条書きしてみる
「熟慮」が見抜くことであるという日本語には無理がある
「あらかじめ事態を構築する」の意味が分からない
「熟慮の欠如」を反転させるためにすべきこと
相手が言ったことにそくざに素直に反応しない
相手の「心」を洞察し、その洞察にもとづいて行為する
注)「心」は存在しない
参考:5番地さんの投稿
「相手が本当は自分の考えを否定してもらいたかったらどうする」
「こんなことすら意識しないで」や「〜の話を抜きにして」の反対。すなわち、「そういうところまで意識する」であったり、「〜の話を抜かさない」といった態度