「志向性」と「思念する」
「志向性」の話がされるときに、その話のなかで同時に「思念する」という言葉がよく使われる。この言葉の元々の言葉はmeinenというドイツ語で、英語で言うとmean(〜のつもりで言う)に当たる。 「思念する」は日本語で言えば「〜のことを……」に該当するのではないか久住哲.icon
「意識は常に何かについての意識である」ということは、どんな意識活動も「〜のことを……」という構成要素を持たねばならないということではないか久住哲.icon
「〜」には世界あるいは世界内部の存在(あるいは反省された意識活動)が入り、「……」には意識活動(知覚、想起、想像)が入る久住哲.icon
そうなると、「志向性」の意義は、意識体験が構造的に(すなわち意識が意識である限り)ノエマ的側面とノエシス的側面への接続肢をもっている、といった点にあるんじゃないかにゃ?など思う。久住哲.icon