「心理的安全性の欠落」とは何か?
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これはAさんの言動が「心理的安全性の欠落を示唆している」と答えるのが一応の「正解」なのだろうか?
「心理的安全性」について自分はよく知らないが、問題なのは「Aさんの言動」そのものというよりも、むしろAさんの「皆の前での厳しい非難」や「本人のいないところでの辛らつな批判」に対して何も言えない他のメンバーなのではないか。あるいは他のメンバーがAさんに対して言い返すことをできなくしている「何か」(?)。 もちろん上のシナリオではディテールが省かれているのでAさんにまったく問題がないわけではないだろうが。
というのも、上のシナリオでは「Aさん以外のメンバーは皆、このアイデアには説得力があり、裏付け調査も十分で、試してみる価値はあると考えていた」とされているが、それならなぜ誰もそれをAさんに言わないのだろう。Aさんの非難や批判に対して、反論しないのだろうと素朴に思う。Aさんだけが反対しているなら、少なくとも多数決に持ち込めば勝てるはずだろう。
上で言った「何か」というのは、多分Aさんが「技術的な専門知識に精通している」ということや「長年にわたりマネージャー職を担当している」というAさんの経歴だったり立場的なものなのだろう。とすると、そういうもの──簡単に言ってしまえば、対等でないということ──が上のシナリオにおいて「心理的安全性の欠落を示唆している」のであって、Aさんの言動自体に問題がある(少なくとも問題の本質がある)わけではないような気がする。
だが、専門知識や経験を持っているということは、何らかの形で評価されるべきであるような気もする
googleがどういう答えを用意しているのかが気になる。
個人的な「心理的安全性」のイメージ(というより願望)は、「他人の意見を否定・批判するようなことを言わない」ではなく、「臆することなくお互いに意見を否定・批判し合える」というものに近い
『恐れのない組織』読書メモを斜め読みさせていただいたが、(あくまでこのメモで書かれている部分を見る限り)上の自分の直観は間違っていないような気がする。 「心理的安全性」に(多分)関する話で自分が気になるのは次のこと。
例えば、Aさんが自分の意見を述べた際に、それを否定するような意見(批判)を受けたとする。そしてそれはAさんにとって不快な経験であり、それ以来Aさんは意見を述べることに消極的になってしまったとする。
このような場合、Aさんはもう気兼ねなく意見を述べることができなくなってしまったのであるから、Aさんにおいて「心理的安全性」は失われてしまったのかもしれない。かといって、批判や否定するような意見を述べることを封じようとするならば、それはそれで「心理的安全性」は失われることになる。
このジレンマを解決する妙案はあるのだろうか。