「彼女は女である」という文は分析的判断であるか?
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「彼女は女である」という文は普通に考えれば分析的判断である。「彼女」という概念に「女」という概念は既に含まれていて、それをただ述語に持ってきて作られた判断のように思われるからである しかし、次の場合はどうなるのだろうか。例えば「彼女」という概念を正しく習得できなかったAさんがいるとする。Aさんは「彼女」を単なる三人称単数を表す語として──he or sheの意味で──理解している。この場合、Aさんが行う「彼女は女である」という判断は「分析的」か「綜合的」か。
Aさんにとっては、「彼女」という概念には必ずしも「女」という概念が含まれているわけではない。したがって、Aさんが「彼女は女である」と判断する場合は、それは綜合的判断である。つまり、ある判断が分析的判断か綜合的判断か、というのは判断を形成する人が「どのようにその概念を理解しているのか」による。このように考えることは可能なのだろうか?