「君はいつでも好きなときに自分自身の内にひきこもることができる」
人は田舎や海岸や山にひきこもる場所を求める。君もまたそうした所に熱烈にあこがれる習癖がある。しかしこれはみなきわめて凡俗な考え方だ。というのは、君はいつでも好きなときに自分自身の内にひきこもることができるのである。実際いかなる所といえども、自分自身の魂の中にまさる平和な閑寂な隠家を見出すことはできないであろう。この場合、それをじいっとながめているとたちまち心が完全に安らかになってくるようなものを自分の内に持っていれば、なおさらのことである。そして私のいうこの安らかさとはよき秩序にほかならない。であるから絶えずこの隠家を自分に備えてやり、元気を回復せよ。そして(そこには)簡潔であって本質的である信条を用意しておくがよい。
(中略)
であるからこれからは、君自身の内なるこの小さな土地に隠退することをおぼえよ。何よりもまず気を散らさぬこと、緊張しすぎぬこと、自由であること。そして男性として、人間として、市民として、死すべき存在として物事を見よ。そして君が心を傾けるべきもっとも手近な座右の銘のうちに、つぎの二つのものを用意するがよい。その一つは、事物は魂に触れることなく外側に静かに立っており、わずらわしいのはただ内心の主観からくるものにすぎないということ。もう一つは、すべて君の見るところのものは瞬く間に変化して存在しなくなるであろうということ。そしてすでにどれだけ多くの変化を君自身見とどけたことか、日夜これに思いをひそめよ。
宇宙即変化。人生即主観。
私たちは自分自身の中にいつでも好きなときに引きこもることができる。
その際に眺めていると心が落ち着いてくるものを内に持っていると効果的で、マルクス・アウレリウスの場合、それは「良き秩序」だった。
また彼が大事にする座右の銘のうち、第一が人生即主観に対応し、第二が宇宙即変化に対応する。
またもしも他人のことや周囲の誘惑によって度を失ってしまったら再び自分自身戻るといい。
周囲の事情のために強いられて、いわばまったく度を失ってしまったときには、大急ぎで自分の内にたちもどり、必要以上節度から離れていないようにせよ。たえず調和にもどることによって君は一層これを支配することができるようになるであろう。(第六巻の十一)