「めぐる」について
ちはやふるーめぐりー
このドラマを一言で表すならば、「めぐる」という言葉がぴったりなのだが、改めて「めぐる」という言葉を考えてみると、外国語には翻訳しにくい、日本語に特有な言葉であることがわかる。例えば「季節がめぐる」という表現を考えてみると、まず単純に季節が進んでいく、つまりgoというニュアンス。ただこれは単純に進んでいくのではなく、日本語で言う「展開する」というようなニュアンスもある、developのような。だがこれは無制限な展開なのではなく、春、夏、秋、冬という規則に沿った進行、つまり繰り返すloopなのである。だがやはりこれもその場にとどまるという意味における単純なくり返しなのではなく、やはり前に進んでいくのである。このような複雑な要素が「めぐる」という言葉には内包されている。これをドラマに当てはめてみると、百人一首を通して熱い青春を送る学生たち、この構図はちはやの時代と変わらず繰り返されているのであるが、ちはやたちが今度は教える世代になり、確かに時は経過しているのである。ドラマの制作の仕方も、以前の作品からの連続性が、出演者から主題歌から強く意識した作りになっており、以前の作品からのファンにはたまらなかったのではないかと思う。そして主演の當真あみが、当時の広瀬すずに負けず劣らずとにかく強烈な輝きを放っていた。ちはやの高校は瑞沢で、今回の主人公のめぐるが所属する高校はそのライバルである梅園高校という設定が特徴的ではあるのだが、連続性という点でいくと、ちはやとめぐるの接点というのがもう少しあっても良かったのかなと思う。確かに幼少期の回想で多少の接点はあるようなのだが、最終回でせっかくがっつり広瀬すずが登場するのに、めぐるとの絡みが一切無かったのは残念な点であった。例えば、ちはやがめぐるのことを「あの時のあの子か」というような思い出し方をするくらいでもあっても良かったとは思うのだが。どちらの高校に肩入れすればいいのかというような、結局ある種の分裂状態のような消化不良が視聴者に残されてしまったような気がする。両者をつなぐという意味においては、野村周平がその役割を果たしてはいるのだが、やはりちはやにその役割をもう少し持たせても良かったのではないかと思う。