近年観てきた作品(はじめ)
2025
東京リベンジャーズ
天竺編
聖夜決戦編
血のハロウィン編
「運命」。東リベを語る際にはこれを考えずにはいられない。なぜなら武道がやっているのは、運命を変えること、運命に抗うこと、つまり運命との闘いだからである。運命とは、そもそもなんであろうか。運命とは未来の視点を持つこと、未来を知っているということである。古今東西、運命は創作のテーマとなってきた。しかし、人間は原理的に未来を知ることは不可能である。それではどのように運命を知るのだろうか。そのため創作においては運命を知るための特殊な装置が必要となる。それが従来では、預言者、神の信託などであった。タイムリープはその装置の系譜に連なる。そのため、タイムリープを行う本作が「運命」が中心的な主題となるのは必然的なことなのである。だがそもそも運命などどこに存在するのだろうか。運命など存在しない。それは人間が勝手に作り出した概念に過ぎない。だが逆に言えば、それは人間の観念、言語の中に存在しているともいえる。それゆえ、我々人間は「運命」が存在している現実を生きている。言葉を使うものならば、「運命」を知らないものはいないし、様々な言語の中に「運命」という単語は存在している。古くは古代ギリシア語の中にも「テュケー」という形で存在している。古くから人間は、自分たちで作り出した「運命」に翻弄されて生きてきたのである。作家が創作で運命を扱う際にとるべき道は二つある。運命を変えることができるか、できないかの二択である。運命は変えることができないというタイプの代表的な作品は言うまでもなく『オイディプス王』である。『オイディプス王』では、王が「汝は息子に殺される」という神託が物語の出発点となる。この神託を聞いた王は、それを避けるために息子を遠くの場所に捨ててくる。しかし、それをしたのにも関わらず、いやそれをしたからこそ、王は結局息子に殺されるのである。運命を変えるためにとった行動が運命を招き寄せることになってしまう。運命とはそういう性質をもつのである。なぜなら運命は定まっているからこそ運命なのであって、運命を逃れることはできないのである。それでは王は息子を遠ざけなければよかったのだろうか。息子を遠ざけなければ、殺されずに済んだのだろうか。それは誰にもわからない。人生にたらればは無いからである。武道は運命を変えることはできるのだろうか。
心理学者のフェスティンガーの理論に「認知的不協和理論」がある。ある事実が認知的な不協和を引き起こすとき、事実は変えることができないため、認知を調節することで不協和を協和状態に変えるというものである。今回の一虎がまさにそれである。一虎は大好きなマイキーの兄をそれとは知らずに殺してしまう。この事実は一虎にとって耐え難い。それゆえ一虎はマイキーを敵とみなすことで、自分の不協和状態を解消しようとするのである。「知ってるか、人を殺すのは悪いことだが、敵を殺すのは英雄なんだぜ。」この言葉に、一虎がいかにして自分の精神的な危機を乗り越えようとしたかが表現されている。一見、これはかなり歪んでいるように見えるが、確かに現実においてこういうことはある。これは結局「周りからどうみなされるか」を「自分をどうみるか」に還元しようとしているのであるが、問題はこの考え方が正しいかどうかではない。問題はこの認知の仕方が原因で、一虎は場地を刺すという2つ目の罪を犯してしまうということである。もし一虎がマイキーの兄を殺した時点で、自分の罪から目を逸らさなければ、歪んだ解釈をしなければ、場地を刺さずに済んだということである。これは道徳的問題でもあるし、法的問題でもあるのだが、もっと大事なことは、一虎のことをずっと良く考えてくれていた人物を自分の手で葬り去ってしまったというこのことが、何よりも一虎本人に十字架を背負わせるのである。一つ目の罪の時点で、それと向き合っていれば、二つ目の罪は防げたということである。そして、最後にマイキーの赦しというのはとてもとても大きなことである。
ちはやふるーめぐりー
このドラマを一言で表すならば、「めぐる」という言葉がぴったりなのだが、改めて「めぐる」という言葉を考えてみると、外国語には翻訳しにくい、日本語に特有な言葉であることがわかる。例えば「季節がめぐる」という表現を考えてみると、まず単純に季節が進んでいく、つまりgoというニュアンス。ただこれは単純に進んでいくのではなく、日本語で言う「展開する」というようなニュアンスもある、developのような。だがこれは無制限な展開なのではなく、春、夏、秋、冬という規則に沿った進行、つまり繰り返すloopなのである。だがやはりこれもその場にとどまるという意味における単純なくり返しなのではなく、やはり前に進んでいくのである。このような複雑な要素が「めぐる」という言葉には内包されている。これをドラマに当てはめてみると、百人一首を通して熱い青春を送る学生たち、この構図はちはやの時代と変わらず繰り返されているのであるが、ちはやたちが今度は教える世代になり、確かに時は経過しているのである。ドラマの制作の仕方も、以前の作品からの連続性が、出演者から主題歌から強く意識した作りになっており、以前の作品からのファンにはたまらなかったのではないかと思う。そして主演の當真あみが、当時の広瀬すずに負けず劣らずとにかく強烈な輝きを放っていた。ちはやの高校は瑞沢で、今回の主人公のめぐるが所属する高校はそのライバルである梅園高校という設定が特徴的ではあるのだが、連続性という点でいくと、ちはやとめぐるの接点というのがもう少しあっても良かったのかなと思う。確かに幼少期の回想で多少の接点はあるようなのだが、最終回でせっかくがっつり広瀬すずが登場するのに、めぐるとの絡みが一切無かったのは残念な点であった。例えば、ちはやがめぐるのことを「あの時のあの子か」というような思い出し方をするくらいでもあっても良かったとは思うのだが。どちらの高校に肩入れすればいいのかというような、結局ある種の分裂状態のような消化不良が視聴者に残されてしまったような気がする。両者をつなぐという意味においては、野村周平がその役割を果たしてはいるのだが、やはりちはやにその役割をもう少し持たせても良かったのではないかと思う。
とと姉ちゃん
あんぱん
愛の学校
各方面抑制のきいた終わり方だったなという感じがする。予定調和でありがちなハッピーエンドを避けたという感じ。ただ全体的にはハッピーエンドとは言える。木村がもう少し生徒から求められる感じになるのかなというわけでもなく、あの生徒とのわだかまりが解けるわけでもなく。沢村は父親であるかどうかがはっきりするわけでもなく。ラウールが合格するわけでもなく。母との関係を修復するわけでもなく。かと言って、それで煮え切らないという感じでもない。この終わり方で良かったのだと思う。母親がパートに出るようになったというのが象徴的で、主婦がパートに出るということは、家事をやる時間が少なくなり、それを父親が認めたということだからである。それはまた何よりも性別役割意識が強かった父親の意識の変革を示している。また父親が、自分の支配下から娘を手放し、妻も手放したということでもある。最後の植木鉢の描写は何だったのか。ちゃんと土が入れられていて、芽も出ていた。それは「新しさ」を意味するのと同時に、母親のストレス解消のはけ口であったハーブがまだそこには無いことでもある。もう必要なくなったということまで意味しているのだろうか。そして、植木鉢の下に挟まれていたカオルの写真は一体何を意味していたのだろうか。母親もカオルのファンになっていたということだったのか。最後の砂浜にあった多数の愛は、「字」というものがずっと通底にあったこのドラマらしい終わり方だったと思う。
キングダム 大将軍の帰還
鬼滅の刃
無限列車編
遊郭決戦編
刀鍛冶の里 敵襲編
刀鍛冶の里 繋いだ絆編
柱稽古 開幕編
柱稽古 柱結集編
ウェディングプランナー
リロ&スティッチ
ミッションインポッシブル
ローグネイション
フォールアウト
デッドレコニング
君たちはどう生きるか
かなり早くテレビで流したなという感じがする。これは真人が継母を母として受け入れるためのプロセスを描いた作品だったのかなと思う。真人にとって継母はあまり好きではない存在で、「父さんの好きな人」に過ぎない存在であった。この言葉は自分とは直接の関係を持たないことを意味しており、自分の好きな父さんの好きな人という父さんを介した間接的な関係に過ぎないことを意味している。それが冒険の途中から、「なつこ母さん」という呼び方に変わった。これは真人と継母との間に直接的な関係ができたことを意味する。冒険全体がこの変化に寄与したと言えるのだが、直接的なきっかけは、実の母が継母のことを「私の妹」と表現したことが大きかっただろう。この言葉の真意はわからないのだが、この言葉により真人は、元々の母と継母との間につながりをつけることができた。「妹」というのは完全な分身ではないにしても、それに準じる濃厚なつながりを保持していることに他ならないからである。
「女性」は宮崎作品では常に重要な役割を演じる。たとえば、『紅の豚』おいて、ポルコの新しい飛行艇を作り上げたのは、ほとんどが女性の労働によるものであった。この作品においてもそれは継続しており、真人を助けたきりこは所有している風貌や性質は、ほとんど男性的であるにもかかわらず、やはり女性であるということ。ただこの助ける側と助けられる側との性別の関係性は、『千と千尋の神隠し』とは反転しているという点はある。「異性による助け」と表現すればそれは共通点になるが。
真人が最初から、雄々しさやたくましさを有しているというのは興味深い。この手のストーリー、つまり都会から田舎に疎開してきた少年は、最初は軟弱で冒険を経てたくましく成長するというのが典型だからである。真人の場合、最初からそのたくましさを比較的有している。真人からアシタカを想起した人も多かったのではないか。それはこの作品がその点での成長を描こうとしたわけではないからである。何か別の点での成長、上記の継母の受け入れというのはそれの一つではあるのだが。
真人のもう一つの成長は、「老人とのつながりの回復」、もしくは「世代間継承に自分を位置づけること」である。この作品で目立つのは「老い」である。具体的に言えば、召使の老婆たちと大叔父様である。彼らは見た目の老い、つまりしわなども徹底して描かれている。真人は、普段から老婆たちに助けられている。細かい描写であるが、真人が床に落とした手ぬぐいを拾うのも老婆であり、粉々になった木刀の片付けをするのも老婆である。真人はこれに感謝することはおろか気付いてすらいない。老婆たちと食事を共にしても「おいしくない」と無下に切り捨てる始末である。これが真人と老人との関わり方なのである。一方、若きりこの助け方は有無を言わさぬものである。これには真人も感謝せざるを得ない。そしてこの助け方は、若きりこの壮健な肉体性を基盤としたものである。だがその本体は実は老きりこなのであり、若きりこがお守りとして渡した人形も老きりこなのであった。この冒険の後には、真人は老きりこに対する見方を変えざるを得ない。彼の新生活に老きりこはいないかもしれないが、老人一般に対する見方が変わるだろう。さらに言えば、「人から助けられていること」に対する感性が変わるともいえる。
世代間継承の方は、一つは大叔父様からの継承である。大叔父様は世界の統括者なのであるが、この世界がどこまでの世界を指しているのかは不明である。異界のみなのか、現実も含めた世界全体なのか、それとも真人の内的世界なのか、それともこれらの世界は全て同じものなのか。そして象徴的なのは、積み木の存在である。この具体的事物がそのまま世界の構造に影響を与えるような示唆があり、これはフラクタル構造ともいえるし(小さいものの構造と大きいものとの構造が等しくなっている)、一時期流行した「セカイ系」(自らの行動が世界全体に影響を与える)を思い起こさせる。いずれにしても大叔父様は何かを真人に継承しようとしており、結局大叔父様の世界は壊れてしまう。またそこから、真人の新生活が始まるのであり、破壊と再生のモチーフがみられる。
世代間継承のもう一つは、なつこの妊娠である。命を宿したなつこを助けることにより、真人は図らずとも世代間継承に一役買うことになる。このような「老人と赤子」のモチーフは『千と千尋』でも出てくるものである。終わる命と始まる命の循環であり、その狭間に真人は位置しており、冒険を通じて真人はそれを自覚することになり、今までとは違う感覚で人生を送ることになるだろう。「継母との関係の回復」「老人との関係の回復」「世代間への自分の位置づけ」、これらのことをまとめると真人の成長は「他者との関係性の回復」だったといえるのではないだろうか。
この作品はすごく陳腐な見方をしてしまえば、ひと夏を田舎で過ごすことにより、そこでの出会いや経験から都会の少年が成長する物語という典型にカテゴライズしてしまえるのだが、それが宮崎駿の手にかかるとここまで壮大なファンタジーになるというのが流石である。人が成長し変容を遂げるためには、異界での冒険をくぐりぬけて帰ってこなければならないのである。
御上先生
昭和の金八先生、平成のGTO、そして令和はこの御上先生ということで、あぁこれが令和の教師ものなんだなという感じで見ていた。「クールさ」というのが前2作と比べても特徴的で、決して熱血ではないけれど、きちんと生徒のことを真剣に考えていて愛情もある。それは御上先生が元官僚だということが大きいのだけど、感情論ではない実質的にこの世界を生き抜く力を与えようとしているのかなという感じがした。最終回では「考えるとは何か」ということに焦点が当てられていた。このクールさと愛情が共存する感じを松坂がよく演じていた。窪塚の息子は父親のトリックスター感がちゃんと遺伝しているのを感じた。
2024
ライオンの隠れ家
わたしの宝物
西園寺さんは家事をしない
366日
君が心をくれたから
2023
天龍八部 レジェンド・オブ・デスティニー
ホームタウン 消される過去
ザ・ロード:1の悲劇
ザ・ゲーム~午前0時:愛の鎮魂歌(レクイエム)~(テギョン、イ・ヨ二、キム・ジュファン)
驪妃
黄金瞳
2022
コードギアス(アニメ)
潜入弁護人
浮気したら死ぬ
魔女たちの楽園
双花伝~運命を分かつ姉妹~(マオ・シャオフイ、ユー・シャオトン)
リセット 運命をさかのぼる 1 年
彼女はキレイだった(パク・ソジュン、コ・ジュンヒ)
奇皇后
太陽の末裔
成化14年
サイコパス ダイアリー
黄金の庭
ボクスが帰ってきた
夕食、一緒に食べませんか(ソ・ジヘ、ソン・スンホン)
偉大なるショー 恋も公約も守ります
2021
独孤皇后 乱世に咲く花
如懿伝
あなたのお気に入りになります
白蛇伝
明蘭
あなたを見つけたい
スコーピオン
花不棄
王女未央
凍てつく愛
恋のレベルアップ
ダーリンは詐欺師
武則天
霜花の姫
2020
バビロン・ベルリン
フーヤオ
キム秘書はなぜ(パク・ソジュン)
はじめて恋をした日に読む話
それ以前
王女未央(ティファニー・タン、ルオ・ジン、ヴァネス・ウー)
愛するウンドン
紳士の品格
ろうや坊
逃げるは恥だが役に立つ