2022/09/30
秋ダービー最終日。駆け込み歓迎!
夢でアープラノートを書いていた。食中毒に関するページだった。 半袖で寝て、タオルケットをかけていたのだが、朝は思ったよりも寒い。済んだ秋の空気で目が覚めたのでストレッチとかもろもろするか。
? 明日からNota社がHelpFeel社になるらしい
昨日、オススメされた『難しい本を読むためには』を読んでいる。中学生〜大人までの幅広い読者を対象にしているからすごく平易に書かれているけれど、まるで受験参考書の読解指南本みたいだなと思った(たぶん他にオススメされた入不二基義『哲学の誤読 ―入試現代文で哲学する!』もそうだと思う)。だから勉強になるけれど面白いかと言われると首を傾げる。 ただ永井均の文章を取り上げて、その最後で永井均は独特の難しさがあると指摘してくれたのはそうなんだよ!って感じで嬉しかった(2022/09/16)。 「哲学(philosophy)」は──現在の常識的な捉え方では──明治期にはじめて西洋から日本へ輸入された学問であり、それ以来、本邦の哲学はほとんどつねに西洋哲学を思考の源泉にしてきました。具体的には、ドイツやフランスやイギリスやアメリカでそのときに話題になっている事柄を調査して、それを踏まえてものを考える、という仕方です。これに対して永井均はいわば「自分の直観」から哲学の問いを立ち上げるひとであり、わが国の哲学において特異点のような存在になっています。その結果、彼の展開する議論は、外国の哲学書をいろいろ猟歩しても対応物が見出せない「独位な」ものになっていると言えます。
(中略)
おそらく大半の読者にとって二番目に取り上げた永井の文章はかなり難しい部類に入ると思いますが、それはある意味で「自然なことだ」と言えます。なぜなら彼の伝えようとする内容がいわば読者を選ぶところがあるからです。じっさい、もしみなさんの中にもとから永井均のような感性をもっていたひとがいれば(いるとしてもたいへん少数でしょうが)、そうしたひとにとっては二番目の文章もたいして「難しく」ないでしょう。永井の文章の「難しさ」の質がこの種のものだ、という点は知っておいて損はないと思います。
つまり俺は永井均のような感性を持ち合わせていないマジョリティーということだな(嬉しいような悲しいような)
「いや、むしろ、必ずしも永井均と感性を共有しないひとこそ、こうした正攻法を採る必要があります。じっさい、文章のポイントを直感的につかめない場合には、全体と部分のあいだを行ったり来たりして段階的に理解を深めていく以外に道はありません。らしい。
正直、学者が巷に溢れる読書論みたいな内容のことを書いてんちゃうぞ的なことを思っていたのだけど、3章からはすごく面白いと思いました。
全部読んだ。結果、めっちゃ面白かった。最後の実践編は読書会をやれからのその実践の話だった。アープラでも参考にしてもよい部分はあるかもしれない。