2022/06/17
2022/06/16→2022/06/17→2022/06/18
今日はゴールデン発表会
18時からは創作缶詰会
コーヒーを褒められた(インスタントなのに)曰く、ここというところにビシッとくるらしい。⚾
どう美味しいのか説明するのは意外と難しいものだ。フランス人みたいに訓練してないし。
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哲学(?)はいろいろな物(評価軸, 知覚, etc)を疑って無限に追求している物であってほしいと夢見ていたけど、結局それは不可能で、どこかに有限性, 諦めが存在するということがだんだん分かってきた。blu3mo.icon
カントの哲学はまさにそのような印象ですねぇ。人間の理性は無限に働くけどその理性の能力には限界があって…みたいな話を純粋理性批判でやっていましたねuvoa.icon
くま子.icon
「われ思う、故にわれあり」というデカルトの方法的懐疑(あらゆることを疑った結果、今それを疑っている私が存在することだけは確実だ)が近代哲学の出発点とされると聞いたことがあります。
「わたしは考える、ゆえにわたしは存在する」というこの真理は、懐疑論者たちのどんな途方もない想定といえども揺るがしえないほど堅固で確実なのを認め、この真理を、求めていた哲学の第一原理として、ためらうことなく受け入れられる、と判断した。ーデカルト『方法序説』
それ以外は何でもアリなのではないかと思うけれど、哲学に疎いから突っ込みが入ることを待ちます。
今読んでいる、カミュの『シーシュポスの神話』には以下のように書かれていました。
まったく別の地平、すなわち方法の地平で、 フッサールと現象学者たちは、その徹底的に押しすすめられた思考そのものによって、世界をその多様性において復原し、理性の超越的な力を否定する。
つまり、(カミュによると)現象学は「理性は絶対ではない」というのを出発点として哲学しているのかな?と思った。
なぜか対人恐怖が酷くなった(去年もだったけど)。しばらく(なんか機会がない限り)アープラノートもDiscordもROMってると思う。㊙︎メインになりそう。
ゆっくり休んでください🍵
お大事になさってください