140字改行おじさん
※この物語はフィクションです。実在するアープラノートとは関係がありません。
久住哲.iconこの物語は大きく分けると2つに別れている。改行おじさんの顛末と、それの反省会と。
1
ある日のこと、僕たちがアープラノートでわいわい遊んでいたら、新しいユーザーがプロジェクトに参加した。仮にユーザー名は「改行おじさん」としておこう。彼は参加するや否や、僕たちが書いてきた長文を変なところで改行しまくった。僕たちはDiscordの方で「あの人は荒らしか?」と話し合い、アープラノートに「改行おじさんへ」というページを作り、彼に話しかけることにした。
「改行おじさん、どうして僕たちの文章を変なところで改行するのですか?」
「変なところではない。140文字になったところで区切っておる」
僕はそれを見て、改行された文の文字数を数えてみた。きっかり140文字になっている。感心感心……じゃないんだよ。
「いや、元の文章の意味を考慮しない改行っておかしくないですか?」
「それをおかしいと言う人はいるだろうね。わしもそれは理解するよ。でもね、1行1行が短い方が、読みやすいだろう。あと、文字数が数えやすくなるという利点もある」
「いや、僕たち、スクボに書いた文章の文字数を数えたいってニーズはないんですよ」
「ニーズがなくても、数えやすいことは良いことだろう? さて、君たちも、140文字になったらその時点で改行しなさい。それ用のUserScriptも用意してあるから」
改行おじさんはそう書くと、そのページに、UserScriptの書かれたページのリンクを貼り付けた。コードを見てみると、ぜんぜんインデントされておらず見にくかった。そして、やはり、140文字のところで改行されていた。この人はおかしいんだ。
「要りません。僕たちは普通に自由にスクボを使いたいだけなんです」
「それは分かる。わしだって自由に使いたい。だから、皆さんの文章を自由に改行しておる。ただし、わしのこだわりとして、140文字で改行する。これはわしの自由だろう?」
「それはそうですが、自分の文章だけにしてくれませんか?」
「なに?わしの使い方を制限するのか?なにが自由だ。そんなルールはあるのか?いま作ったのか?それは権力の横暴だ」 僕にはもう、このまま議論が平行線しか辿らない未来がみえていた。どうしよう。今までけっこう、うまくみんなでやれていたのに、こんな人ひとりのせいで、長文を書いたら変な改行をされてしまう。
その後、明日も早かったので、気がかりではあったが、「寝ますね」と書いてページを閉じた。けど、スマホを置いてからも、不安でなかなか眠れなかった。翌朝アープラノートを開いたら、僕たちがこれまで書いてきた文章がぜんぶ、変なふうに編集されていたらどうしよう。そして、実際、その不安は当たった。だいぶ昔のページまで掘り返されて、それらすべてが、1行140字以内になるように改行されてしまったのだった。
僕たちはもちろん屈しなかった。そんな変なルールは受け入れられない。それからも僕たちはなるべく気にしないようにそれまで通りにアープラノートを使っていこうとしたが、改行おじさんは
「140文字で改行した方がいいと思います」
と繰り返し書き込みをおこなってきて、一部の人は、あまりにうるさいので、それに従うようになっていた。だが、僕は納得いかなかったので、あえて長文を書いたりした。
ある日、あかはなくんが、「改行おじさんへ」というページに、
「提案なんですけど、別なプロジェクトを作るのはどうですか?」
と書き込んだ。
「ツイートプロジェクトっていう、別なプロジェクトを作ればどうでしょう。そこでは1行を140文字にしなければならない。その趣旨に賛同する人は、そのプロジェクトに入るっていう。アープラノートのバックアップデータ使ってもいいので」
あかはなくんにそんな権限ないだろうと思いつつも、僕は「いいね👍」とリアクションをつけた。
「ほう、アープラノートの全ページを引き継げるのかね。よし、わしが真・アープラノートを育てていくこととしよう。140文字改行に賛同する人もいるし」
と、改行おじさんはバックアップから新しいプロジェクトを立ち上げた。もちろん、その別プロジェクトに参加する人はいなかった……と言いたいところだが、2名がその「ツイートプロジェクト」に参加した。彼らは、普段から短い文章を書く人たちだった。その人たちはそれきりアープラノートには書き込まなくなってしまった。
改行おじさんは、誰にも邪魔されずに、アープラノートに元からあった25,000,000ページの改行作業に勤しみはじめた。参加した2人は、既存の文章に対する改行には興味がないらしくて、それぞれに好きなようにページを作っていた。……ただし、1行は140文字を超えないようにして。
2
その後、僕はあかはなくんと「改行おじさん事件」というページを作って、反省会をした。
「あかはなくん.iconがあのとき提案しなかったら、アープラノートはやばかった。1人に責任を押しつけてしまって申し訳ない」
「私は企画って、積極的に縛りを受け入れていくようなものだと思ってるんだよ。縛りプレイをやりたい人は、企画を立てて、企画に参加すればいい。あのプロジェクトだって要は企画ないしゲームだ。面白みを感じない趣旨に人は納得しないし、ルールが納得できないゲームに人は参加したいと思わない。けど、◯◯さんと◯◯さんは、納得した。あるいは、そちらに居心地の良さを感じた。プロジェクトを立てることも企画だけど、企画って、積極的な規範の提示だと思う。けど、それってトップダウンだよね。でも、アープラノートはこれまでの歴史があり、自由にやっていこうって風潮もある。それが明示されてもいるけれど、どこかボトムアップな規範、みたいなものがあると思ってるんだ。それは、それまでいたひとの使い方を見て、そこから、Scrapboxの使用法についてのヒントを得ていくようなものだ。改行おじさんは、まったくボトムアップなところがなかったよね。来てすぐ、自分のやり方をすべての文章に適用しはじめた。あれもトップダウンだと思う。改行おじさんは、はじめから自分の心のうちに企画を携えてやってきたわけだね。僕は、彼の心の中の企画に、別なプロジェクトという形を与えたほうがいいと思ったんだ」 久住哲.iconここで「トップダウン」という言葉と「これまでの歴史」という言葉とを、同一の台詞のなかに並べたことには、動機がある。ここで言われているのは、概念や規範に関するポストモダン的な見方のことだ。140文字改行おじさんは「未来へ」の視点を持っており、他の人は「過去へ」の視点を持っている。 「じゃあ、あかはなくんは、別にアープラノートを救おうって感じじゃなかったの?」
「いや、私もあれはどうにかしないとなって思いはしたよ。ただ、彼の言うこともまったく分からないわけでもないんだ。彼は極端だったけど」
「彼が言っていた、自由については、あかはなくんはどう思う?」
「そうだね。トップダウンっていうのは、一般的には、上の立場の者が下の立場の者に指示するときに使われる言葉だろう。トップダウンというのは、上から下へ、命令するあり方だ。彼は、自分自身のうちに、トップダウンの意識を持っていた。だから、彼は『改行しなさい』って命令していたんだと思う。ハイデガーの『ニーチェ II』の175ページあたりで、カントのいう自由と、ニーチェのいう命令とが同じものだって話がある。どちらも、法則を創出するものだといわれている。彼の持っていた法則っていうのは、法則ってほどでもない、ひとつの変った規則だったわけだけど、彼はその規則を自己のうちに保持しながら、頑なな態度で、編集を行っていた。ああいう風に、自分のうちにトップダウン的な規範を持つことは、私は大事なことだと思っている」
「けど、あれは迷惑行為だったよ」
「もちろん、そうだ。彼は、すでに存在している文章から読み取ることができるボトムアップ的な規範にまるで無頓着だった、と言えるだろう。僕たちは、常にルールを作ってやってきたわけじゃない。なんとなく、こういうもんかなって、やってきた。つまり、ボトムアップ的にやってきた。《共有メモ帳》っていうのは、トップダウン的なものにみえる。コンセプトだからね。でも、改行おじさんと違って、僕たちは、あのコンセプトを自分の中に強く保持してはいないんだ。僕たちは、既存のScrapboxプロジェクトだったり、Discordにおけるチャットだったり、Wikipediaとか辞典とかについての、こういうものだろうっていう、ボトムアップ的な規範にしたがって色々書いてきた。けど、改行おじさんみたいに、Scrapboxで文章を書くってのは140字で改行することなんだ!……っていう意志はないよね。僕たちは、ああいう強い積極的な規範によって結びついているわけじゃない。結びついてすらいないと言える。『ゆるく連携している』と言えれば、それは良いんだけど」 あかはなくんはどうも、改行おじさんのなかにも積極的な何かを見出しているっぽかった。僕にはそれが分からない。改行おじさんは、自分のやり方を僕たちに押しつけてきた。ああいうのは、パターナリズムだ。自分が正しいと思っているものを、しかも、それが穏当なものならまだしも、あんな極端なものを、色々と理屈をつけて。 それにしても、◯◯さんと〇〇さんをとられたのは痛い。(了)
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