(オートポイエーシスの)定義
節構造
(1)オートポイエーシスシステムの定義
私の定義
従来の定義の問題
(2)システムの自己
自己言及という誤解
システムの自己と構造
発生の論理
(1)オートポイエーシスシステムの定義
山下の定義によると
「オートポイエーシス・システムとは、産出物による作動基礎づけ関係によって連鎖する産出プロセスのネットワーク状連鎖の自己完結的な閉域である。閉域形成に参与する産出物を構成素と呼ぶ。」 キー
産出プロセスと産出物
産出物による産出プロセスの基礎づけ関係
産出プロセスの連鎖の閉域と構成素
産出物=会話/コミュニケーション 産出プロセス=集会場や会議などの場や会話のルール、役職や立場、慣習(多分本書で言明してないので違うかも)
基礎付け関係=社長が3人の社員を雇うために人事部に仕事を委任する(コミュニケーションA)。社会の付与した役割によって、人事部の部長は社長に雇用の結果を報告する義務が発生する(基礎付けられたコミュニケーションB)。(多分本書で言明してないので違うかも)
構成素=期待構造 境界=社会の構成員が期待するコミュニケーションと、それぞれの社会が充てる役割において、共有する場を離脱した際に当該コミュニケーションの連鎖(=社会システム)から脱した事になる。閉域とは構成員がその場の中に参入するか離脱するかをそれまでのコミュニケーションの総体である社会システムの構造が自律的に決定し、それを構成員が予期する。(構成員の自律と社会の自律の境界が曖昧なので誰か賢いヒト加筆頼む)
システムの自己([* 現状読書メモなので理解が回帰したら適宜まとめる])
「ネットワーク状の連鎖が自分自身のどこかに回帰する必要があり、ここにシステムが円環に喩えられる理由があるのだが、回帰の結果として閉域が形成される(中略)。」
連鎖の影響が回帰することでどうやら閉域が形成されるとあるが、反復する作動の中で生まれた反復間の差異的なものは閉域の摂動としてシステムの作動に含めるとして、具体的にこのシステムのモデルが適切に表現したいことを切り出せるのかがいまいちピンとこない。→生物学者のマトゥラーナが定義した内容であるので、一般理論と言いつつそちらにモデルがoverfittingすることは想像できるが
「産出プロセスのネットワーク状連鎖が、作動基礎づけ関係を通じてどのように展開していくか、それだけに閉域が形成されるかどうかがかかっている。(中略)、このシステムを外から作り上げることは原理的にできない」
ぶっちゃけ、知性ある人間は仮説と検証によってこうしたシステムを近似できるし、文法の説明だとか、生物の分類、集合知とかでいい感じに作り上げそう(人類至上主義並感)
「オートポイエーシスの原理からわかるように、システムは構造なしに存続できないが、構成素がシステムに属していないのだから構造もまたシステムからは区別される。(中略)。さらにもう一つ注意しておかなければならないのは、システムとその構造の間に決定関係がないこと。マトゥラーナによれば、『あらゆる所与の有機構成は多くの異なる構造によって実現されうる』のであり、システムの作動のみでは構造は決まらない。
構造と構成素がシステムの実現に必須だがシステムには属さない、産出基礎付け関係は属する。というのがピンとこないが、システム言及作用の効用や程度はどのように決まるのか。
「ここまで見てくればわかるように、オートポイエーシス論は自己の発生の論理を扱う理論である。」
システムの変動や生物で見られる子の発生/類型の新たなオートポイエーシスシステムの実現、あとは知性という人間に(顕著に)備わった本能とは別のオートポイエーシスシステムも、発生の論理で説明できるのだろうか
オートポイエーシスシステムの例:細胞システム
「これは細胞高分子を構成素として産出する(システム)である。具体的に言えば、触媒反応や、産出された細胞高分子を次の元物質とするという形で繋がった、非常に複雑な化学反応のネットワーク状連鎖の閉域だ。一つの細胞を構成するために必要な化学反応/産出プロセスは限られるから、このネットワークは作動の相互基礎付けによって内部で自己完結し、閉じているはずだ。注意すべきは、オートポイエーシス的細胞システムは、この化学反応の閉じたネットワークの方であり、(中略)、つまり我々が観察する細胞とは区別されること。これは細胞システムの構造でしかない。また、細胞を構成している分子は当然その都度入れ替わっていくが、細胞システムとしての自己同一と、構造としての細胞の同型性は通常維持される。ここで注意すべきは細胞高分子を産出しているプロセスそのものは完全に化学的、物理的な法則に従うプロセスであるのに、そのネットワーク状閉域である細胞システムの自己は、後に見るように、必ずしもそうした法則では記述しきれない性質をもつということである。
一つの細胞を構成する化学反応は決まっている→例えば骨芽細胞時点での化学反応と成長して、赤血球となったの時点での化学反応は異なるが、それらの変遷をどう捉えるか。
"後に見るように"の以下は集合知の特性(集団としての機能が個の合計より優越する)に合致する。