議論論論(2023/08/29 ステージ)
2023/08/29 22:30~スタジオaにて開催された、話し手募集の第二弾。
今回は話し手に久住哲.iconさんをお迎えして、議論論について話してもらいました。
開催時のチャット:Discord
録音(アーカイブ):Discord
イベントでは、概念(と名称)とふるまい、資格と水準、責任とコミットメント、正当化等について話された。
関連リンク
/villagepump/まあ人それぞれだから
/villagepump/オタクならこだわりを持っていて欲しい
概念と名称(会話と注釈)
答え方を間違う(うなぎラーメン編)
ミリンダ王の問答
リアルタイムメモ
初稿:筆者cman.iconのを書き写し
cman.iconは自分が喋っている間書けない&聞き手として余裕があるときにだけメモしてたので抜けが多々あると思われる
筋の良い意見と筋の悪い意見
プライドを持てるか持てないかによって良し悪しが出てくる
こだわりポイントがないと一緒くたでいいよねみたいになってくる
暗中模索状態で発言久住哲.icon
名称を使う資格
陰キャ、オタク
「真の陰キャ」的振る舞いをする人に陰キャを使ってほしい
「陰キャ」は会話の中でcman.iconが/staのページを脳内サジェストした流れから
/sta/陰キャの皮を被った出来る奴
/sta/自虐露悪対象にアイデンティティを見出す
言葉へのこだわり
名称を巡る争い
議論の中で名前、言葉を巡って行われるものなのかな
概念と名称に興味を持っている
自分がやってることは何なのか?
やりとりが概念と名称についてのやり取りなのではないかとなる
言葉が指定する範囲が概念であるので、一緒なのかも
言葉を間違って使うみたいなのはある
そのときには言葉と概念がズレていたというのがわかる
うなぎとラーメン
「私の定義では〇〇」は味噌ラーメンをうなぎと呼ぶようなもの
答え方を間違う(うなぎラーメン編)久住哲.icon
議論が名称の資格を巡るものだとしたら
言葉遣いを指摘するのは名称の資格を問いただすこと
議論段階とブレスト段階
収束と発散
話のスタイルは分けられることができる
特に考えないと渾然一体としている
303と304
議題から逸れないことをなぜ議論だと思うのか
議論では一貫性を求める
その想定で話がなされる
発散ありきの収束
発散的やり取りの後に議論があるみたいな
自分が言ったことで相手の意見が自分側に変わると「困る」
cman.iconの相槌「確かに、一貫性は大事そう」という流れから
「例えばディベートみたいな感じで、賛成反対にわかれてるとき、反対派の人が持論を展開して、それに『でも、〇〇じゃないですか?』って賛成派として意見を言った途端、その人が『もちろんそうだ。だから賛成だ』と意見を変えたら、困るかも」
ディベートなら相手が賛成に移れば勝ちなのになんで困るの?
偶然発した言葉で切り替わると真実にたどり着けないのではないか
自分が参加者として本質を求めている(知りたい)から、目的が達せなくなる
12人の優しい日本人
議論について考えようと思った時にはいい映画
最初は11/12が有罪判決、1人が無罪にしている
注:これは逆だったらしい。Discord久住哲.icon
早く帰りたいから有罪にしている
注:早く帰りたい+若い女性が可哀想ということで11人は無罪にしていた久住哲.icon
話し合いをする中で有罪無罪が入れ替わっていく
ここに集まった意味がない→陪審員のコンセプトに合わせようとする
有罪か無罪か、の目的や意図が暴かれていく
人それぞれだから
話を打ち切るもの
絶望にまで行きたいというのが正反対である
cf. 井戸端久住哲.icon
議論に参加するにあたって
話すための手段としてもある
「議論をするからには」という従うべきルールがありそう
論理性、一貫性の想定
結論を出すのかどうかとか
議論参加者には各々参加目的はあれど久住哲.icon
議論の中の種類
行動案をブラッシュアップする議論
議論の中にブレスト段階がある
それぞれの行動案に対して実際のことを当てはめたりしてブラッシュアップしていく
実践的な議論
結論を出さないとやってる意味がない
飯食いにいくときの議論
概念をぶつけてる場合ではない
なぜ決定をより良くしたいのか?というモチベーション
どうでもいい人もいる
偉い人の決定に従っても良い
そういう人と議論すると歯ごたえがない
後から文句を言うとまた違う話になってくる
概念をぶつけ合う議論(名称の資格を争う議論)
責任の形
さっきと言ってたこと違うじゃん!という形
一貫性を想定しすぎると苦しくなることもある
すべての過去に責任を持たなければならなくなる
どうでもいい気分のときとこだわりたい気分のときはある
一貫性はどこかで始まって、途中で変わったりもする
1つの流れであって、永遠に続くものではない
その場における一貫性
一貫性が保たれる時間があり、その外に出ると一貫性がチャラになる
相手の一貫性の責任を問う形で時間が決まってくる
「一年前には〜って言ってたじゃん」とだいぶ昔まで追及を遡るかどうか久住哲.icon
改心を認めない、再コミットメントを認めないとすべての過去の責任が問われてしまう
それは少し厳しすぎる
というのが久住哲.iconの意見久住哲.icon
(おそらく)反対っぽい意見 → Discord久住哲.icon
再コミットメントのやりかたが不十分だとまた責任を問われてしまう
一貫性が保たれない宣言は宣言の資格がない
「問題発言しません」と言った次の日に問題発言をツイートする場合など久住哲.icon
正当化の難しさ
資格には価値がある
条件がきびしいものではないと資格としての価値がなくなる
運転免許証久住哲.icon
認められる条件が厳しいからこそ価値がある=正当化が難しくなる
水準を高くしておきたいという気持ちがある
これがこだわりの話になりそう
雑談は一貫性を保つ時間が極小になっているといえるかも
確かに1文章内で一瞬で一貫性を保たないことをすると突っ込まれるかも
ある意味では責任を問われるということになる
なぜあらゆる会話において一貫性についての責任を問われるか
一貫性が発言の意味を構成する基本要素だから
「カレー食べたいな、ラーメン屋行こうぜ」
それぞれの文はわかるけど、意味はわからない
意味を交わすというのは一貫性を読み取るということ
後から付け足すことで相手の一貫性を理解できることもある
人それぞれこだわりポイントが違う
人それぞれ自己同一性を揺らがすものは違うのは当然
その場合でも再コミットメントが重要
自己同一性は実態としては存在していない
実態がそれぞれ、とすると議論の価値がなくなる
しかし、同一性を保つ振る舞いがそれぞれであるとすれば
振る舞いを再コミットメントすることはできる
変化にひらかれている
自己同一性は個々の振る舞いの自己評価によって保たれたり揺らいだりする
一つの行為によってでもなく、存在によってでもない
ひとつの宣言をしてもそれで保たれるわけではない
やらないと決めて宣言しても事故的にやってしまうことがある
その時に遡って「なぜその責任(宣言)を引き受けたのか」と考える
より根本的な自分の意見を自覚し、別な意見を持つ
根本的な意見は変わらないから、同一性は揺らがない、みたいなことがありえる
自分を正当化できるかどうか
なぜやってしまったのか、というのに対して後付けでも答えられればよい
自分の核心を保つメリットはここにある
議論でも同じで、核心、プライドや誇りみたいなものを掴んでおけば、ある種意見を変えちゃってもいい
そのへんで哲学、倫理学が関わってくる。
概念をぶつけあう議論
議論の中で議論とは何かが問われる
「それじゃ議論にならない」と言われたとき、議論概念が揺らぐかどうか
概念を取り出して揺らがせ合う行いが議論になってくる
結論は一つの意見なので、それで概念が完結することはない
結論が重要というより、そこにたどり着くまでに保ってきた一貫性のほうが大事になってくる
一貫性が理解の対象になる
相手(あるいは自分)の物語全体の理解が大事
行動案の議論でも、行動を決めたいわけではない。だから議論になる
相手を知りたいと本当のところを知りたい
相互理解なのか真実なのか
とりあえず相互理解しては?(そっちのほうがハードルが低いので)
相互理解することによって追求するものをひとつに定める
議論の一貫性を保つために相互理解が必要になってくる
言葉端を捉えて批判するという議論
一貫性を問うやり方のひとつ
ミクロな部分では誤字の指摘など
一貫性の幅が小さすぎる
トータルで見るとバラバラの話になってしまう
テキストの議論の難しさは一貫性を保つ難しさにある
話したいことの勢いが統一性、一貫性を作る
勢いによって統一性が規定されている
統一性を文章によって規定するやり方は難しく、歪なのかもしれない
話したいことのテーマはテーゼによって表現できにくい
文章的ではないものがテーマになってくる
ベルクソンの直観
ある種の許さなさ
このテーマであるからにはこういうことになってはいけない、という資格の水準
追記久住哲.icon
[……]すなわち、図式的な表象がイメージの形になったのである。小説を書く作家、人物と状況を生み出す戯曲家、交響曲を作曲する音楽家、詩を書く詩人はすべて、まず精神の中に何か単純で抽象的なもの、つまり非物体的なものを持っている。それは音楽家や詩人にとっては音やイメージに繰りひろげられるべき新しい印象であり、小説家や戯曲家にとってはさまざまな出来事に展開されるべき主題であり、生きた人物に具体化されるべき個人的かつ社会的な感情である。
ベルクソン『精神のエネルギー』(平凡社ライブラリー、「知的努力」、p248)
命題的にすると遡れないと思ってしまう
本当は遡ったものもテーマであるし同一性であるはず
君臨すれども統治せずっぽい
絶対的に支配するわけでもない
本体はテーゼではなく概念である
難しさとしては概念は滅多なことでは揺らがないということ
NOと言うのは瞬発的であり、そこには概念がある
何にNOというか、というのが揺らぐのが≒概念が揺らぐなら、滅多になさそう
知識的な部分ではNOを変えやすい
知識によって概念が広がるためには、その言葉を使う場面が増えることが必要
その場で新しい話し方が生まれる(「自由って愛じゃないですか?」を元にした派生)
その場だけの新しい話し方
その場においてはそういうノリが生まれて、新しい話し方が生まれる
「一貫性を求め続けるのってキャンセルカルチャーだよね」みたいな話し方をできる
cman.iconこの辺から疲れてきてメモる余力がなくなった
この後は……なんだ?概念と振る舞いと、議論の中でどのように一致させるかみたいな話をした気がする