読書中のこと(☕2) 二〇二四年
父が主人公なので当たり前だが、修一のヒステリーを直接描写しないのが良かった。
1日のある場面の描写が断続的に続くのだが、読み進めるうちに主人公が今日は倒れるのではないかと思うようになっていった。高齢者同士の話はだいたいしんみりする。
終盤はホームドラマ感が抜け落ちていった。読みながら人生を精算することについて考えていたのだが、そんなものは家族、他人と暮らしてるとなかなかありゃしないのだろう。今を享楽で紛らわせる以外は4んだ人間のことを考えるか、自分がいなくなった後の家族のことを考えるか。
生きることを、自分が傷を負ったから他人を犠牲にして埋め合わせてもいいもの、と考えるとなかなか。
家族パートはハードモードに突入していく……
人間パートがどんどん馴染みな感じになってきた。息子の負債を嫁に贖う親。そして房子は昔のような自分の居場所を見出せず、可愛がられている菊子とも精神的に折り合いがつかないのだろう、実家に帰らなかった。どっちつかずな態度で父のせいにする保子の無責任さにツッコミを入れたくなった。
実は子の夫婦仲がいいことは、孫を持たせる以上に親を安心させるのかもしれない💭
人間パートと自然パートが折り重なるのが、普段生きてるそのまま感じのでいい。
修一父のような自然について話す情緒を持った身内が一人は欲しい。『手のひらを太陽に』という歌があるが、あれを真面目にやっていれば修一のように不満や退屈を他所の異性で紛らわすこともないような気がする。
海外で好評らしいこの作品を読んで、来日する観光客ってやはり古き良き日本がどれだけ残っているのか期待するのだろうか。と言っても今はアニメや食べ物がメインで古風な日本はドマイナーか💭
数章読んでいるが、これはとても好きな感じだ。ジャンルは違うけど須賀敦子に似た好印象。
父のこの先を見届けようとする家族の状況が今の自分周りに近く、ちょうどいいタイミングの読み始めになった。自分の今後と死生観を見直すのにも良さそう。
📘『人形の家』 読了
事前知識なし。表紙にあらすじもなくパッと開いたら戯曲だった。
展開が小気味いい戯曲は気分転換になるし、たまに読むのにいい。
あとがきには愛と結婚生活についての物語とある。
八年という時間も妙にリアルな印象があるし、破滅の兆候に別の再生が見える。
綺麗なものと汚れたもの、偽物と本物といった対照の出来が綺麗だなと思った。
対照的な女性モデルとしてクリスティの『春にして君を離れ』とセットで持って時々読み返したい。
📕『ハムレット』 読了
真っ白なホレイショーが生き残った。ハムレットがオフィーリアを死なせたから死を逃れられなかったという感じで。
レイアーティーズはハムレットが死ぬと確信したから和解できた
ハムレットは本人の言うように理性的だったのか?敵を欺くにはまず味方とは言うけれど。
理性的だったらオフィーリアへの対処方法を他に考えられたかもしれない。ただし全く未練や自責の念がなさそうだったので本当に好きだったのか疑問。
たとえオフィーリアと結婚しても、ボローニアスの血を引いた子供を欲しがるのかどうか。子供に罪はないか。
人道的かどうかも見る現代の感覚では理性的に思えないかもしれない。それに恋愛が“感情“の範囲なら確かに王子としての理性が上回っている。
「こうしておけば、いいか、イギリス王、こちらの好意を少しでもありがたいと思ったら(ry」
ここの芝居見たい。こういう言い回しの踏襲好きだな。
蛆虫のくだりが面白い。
パッと見では(ハムレット酷いことをするな~)とか思うけど、自分の親の死体の上で贅沢してるように見えて、全てに嫌悪感が生まれるのかしら。亡霊を見たりするハムレットは所謂感じやすい人なのだろうが、父の理想化でも潔癖症みがありそう。オフィーリアなんて内部事情を露ほども知らないだろうに。
そういえば中世ヨーロッパでの貰い婚はどうとらえられていたのか。
ピラス……あ、ウテナの曲にあったな。と思い探してみた。
『幻燈蝶蛾十六世紀』歌詞はイーリアスの人物名であるもタイトルが16世紀なのでハムレットの役者の台詞から歌詞にした感じか。
プライアム王=トロイア王プリアモス。イーリアスの後にネオプトレモスに殺される。
ピラス(ピュロス)はネオプトレモスの別名。
瑕瑾
ハムレットの先王(霊)に対する言葉遣いが逆転しているような。タヒんだとはいえ実父だったのに相棒呼ばわりや友情など気になる。あちらでは霊になると格が下がるのか?大聖堂の一等地に埋葬するような支配者でもそうなのかな。日本では逆に畏れるようになったりもするのに。お国・時代柄なのかしら。
私の初読ハムレット作品にして過去に二回くらい読んだ記憶がある。読む気になったきっかけの一度目は小説で使われてた時。二度目は観劇。一度目は何も知らずに開いたから脚本だったことに驚いたっけ。『恋に落ちたシェイクスピア』なんて映画もあったなぁ……とはいえ内容がすっかりアレなので改めて初読ということで。
📕カフカ『審判』 読了
9章面白かったな。笑えるところもあって変身より面白かったかもしれない。(大衆向けってことかな?)
『流刑地にて』の処刑方法が出てくるんじゃないかと身構えてしまった。
出てくるキャラみんなに裏があり、破滅の香りがプンプンする。なんだかそし誰のような雰囲気。
協力者に会って楽になるかと思いきやどんどん困難になっていくのが、コントを見せられているようで笑えてくる。
建物、調度類の描写が作中の人物に与える影響に興味が湧く(この作品は極端な狭さがある。)あと想像していると陰影の深さを感じる。
審判を読んでウトウト。寝ぼけている時に思い出される入り混じってあやふやな景色が面白いと思う。それは昔、ダリの絵の前に立って見ていた時に感じたの面白さに似ている。ちょうど7章で画家も出てきたし。
主人公の自意識過剰みと「ちょいちょいちょい」と言いたくなるフックを多く感じる。周囲の奇妙さは不思議の国のアリスみを感じる。なにかと映像化してたら見てみたくなるカフカ。
読み始めてから書いた日記には退屈と面白さが半々。これは今も続いていて、退屈なのはまわりくどい書き方のためかもしれない。カフカに限らずプラトンなど古い本にはよくあって、もうちょっといい言い回し(訳)だったらと時々思う。ウルフの時には思わなかったのだが。再読では光文社で読んでみたさがある。
📕『イワン・イリイチの死』 読了
トルストイ、タイトルを眺めると厳格で難しそうなイメージがあったけど(読むだけなら)読みやすい文だった。
📕『ダロウェイ夫人』 読了
意識の流れは今後自分がそうなった時に意識しそうだ。さっきは床に手をついた時に怪我をする連想から、自分の五指の健ごと関節を切り、金太郎飴を伸ばす要領で転がして骨だけ出てくる流れが思い浮かんだ。想像の独り言までを書き出すとなると訓練が要りそう。記憶力を嫌えるのはいいのかもしれない。 この作品も映画化してたら見てみたいかな。あとシェイクスピア必須かも。
こんな救われ方もあるんだなぁ〜。めっちゃ俗的だと思うけど。意味について考えてしまう。う〜む。
変わった書き方(意識の流れという方法らしい)。見えない物の移り変わりを映像から文字化しているような。このような書き方を読んだことがないわけではないと思う(それこそクリスティにはある)が、ここまで徹底したものは思いつかない。風の運ぶ匂いの変化を注意深く追っていかなければ、という気持ちにさせる。読んでいると緊張感があるし身動きの取れなさがある。取りこぼしのないように、と高い集中力が書く方にもあるのかもしれない。 人生を折り返した女性の哀愁、影響力を失いつつある老いの描写が良い。イングルソープ夫人を思い出すし、女主人を崇拝するメイド達の声も思い出す。これがイギリスの味か……。
🥳須賀敦子全集まであと0冊📚📚
Lv⤴️ (読みやすそうな)新しめの小説を選ぶことを覚えた。
目標達成〜!!🎉
📕『さあ、あなたの暮らしぶりを話して』 読了
神のない世界で正義や美徳は通用しないとしたら、どんな経緯で正誤が定まっている(きた)のかという。
神の世界の残り滓にいよいよあずかれなくなった人類は増え過ぎた人口を宇宙に移民させるしかない定型文。
特にクルド人についての話がでてくるが、彼らにとって人命の軽さが日本人のものとは根本的に違うからこそ、今日日本を始めとする先進国で問題視される道徳観の緩さ(といってもあちらでも刑務所行きはある)、一方で幸福の考え方へと広大に伸びていくようだった。管理に重きを置く日本人とは真逆で、すぐには混ざらないだろうとも。
クリスティは彼らとその土地についての魅力を語っていた。そう述懐できるのも羊の屠殺を見ずに済み、英仏国の支配が及ぶ限りでだろう。
マックはいいキャラしてたなぁ、彼についての話が聞けなくなるのが寂しい。マックロスだわ。
面白かった〜!
人間の本性として、たとえどちらかが選ばれたとしても、私たちは即座に、もういっぽうのほうだったらよかったのに、と心ひそかに悔やむのである。
📕『朗読者』 読了
物語として楽しめたのは第一部部分だけだった。読みやすくて示唆に富んでいる。頭を膨張させられている。
📕『ロートレック荘事件』 読了
前回が会話劇だったので今回はさっぱりしてた、切り替えが多かった。
一気読み〜。没頭してしまった。ロートレックのことも調べてみたくなった。
📕『親指のうずき』 読了
解説w
満足満足!やっぱり面白いなぁ。おかげで再読したいものも出てきた……(困る
進行と会話の達人だと思う。淀みがない〜
好きな作家だからつい😊で読んでしまう。
女性の怖さを観たいならクリスティはいい。ドラマ(吹き替え版)の『葬儀を終えて』『鳩の中の猫』『殺人は容易だ』、そしてこの『親指のうずき』の演技が見事で、小説を買った(ただし改変あり)。
異様な印象の余韻からナチュラル狂気老女モノを読みたくなった。とは言えドラマで観たのであって、小説は初読である。
📕『デミアン』 読了
この小説は小説として私に異様な印象を与えたが、不思議となんでもやれそうな気になる鼓舞もした。珍しいタイプのポケモン。
そういえば清々しいくらい運命にひたむきだったな。運命はもともと神の世界のものだし当たり前か。
人生がどこかでやり直せるなら、なんらかの宗教的背景の強い子供として育ってみたさがある。
気味が悪かったのはカルトぽい異様さ、主人公の危うさとか。ああいうのが神秘主義なのかな。モチーフだとは思ってもデミアンと母の関係は普通に怖い。女性(母)の潜在的な怖さみたいなのも感じられる。 全体的に宗教の変遷とかシンボルとか多そうなので、知っていたらよかったかも。(でも丁寧な方かも)
えらいこっちゃやで~~~
解説読むタイミングが早すぎた。「この小説はこういうことを表現してるんですよ~」的なメッセージに上書きされて初読の印象が思い出せなくなる。
信仰って、信仰になる前段階に依存があるのかな。やっぱり最初は求)救済で始まるのかなと思った。
“たまごの殻は世界“とか、この小説がウテナのネタ元だったか……生徒会メンバーを思い出すと確かにデミアンの世界的。
ある男が理想の推しに出会うまでの話に思えてきた。
三章まで。最初は(好みじゃないかも)と思っていたのだけど、デミアンが登場して面白くなってまいりました。目次を見たら章題にカイン、ベアト、ヤコブと振られている。
前情報ゼロです。対戦よろしくホニャララララ。ヘッセが好きという話はよく聞く。
📕『グレート・ギャツビー』 読了
rumor
終わり方も好き。年代設定以外で古臭さを感じなかった。重要でないところの作り込みも良かったなあ。そりゃロバ様とレオ様が演じるわけです。(🫏🦁ナチュラル動物名……)
ジョーダンは朴璐美さんが合いそう。
ラストの三章が怒涛のナンタラで読み終わるまで眠れなかった……ドライアイで辛面白かった。
しかし景色も人の描写もいちいち絵になりそうで想像が楽しい。
色んなキャラが出てくるわけで、移民に支えられるであろう未来の日本について、つい考えてしまう。
主人公の読みとり能力が作者並み()に強くて、読んでいくだけで満足度が高い。野崎氏訳だと台詞がちょっと荒っぽい印象、ライ麦の時は合ってた気がするんだけど。そしてスムーズな異邦人の次に読んだためかちょっと癖を感じるな。
地味に面白いんだが!連想が捗る!
クリスティ作品にけっこう出てくるアメリカ女、アメリカ男の実像に迫っていけそうな感じ。ついでに吹き替えのベテラン声優の声を脳内再生している。読み終わったら映画も観たいし、村上訳が似合いそうで(買う余裕があれば)そちらも読みたい。
レヴィ・ストロースの新しいアメリカの話も思い出した。そして移動が多いから地図を開いて読むのも面白そう。アメリカのふんわり造形が少しマシになるかもしれない。都市部と郊外で全然違うだろうし。
なぜか∀を観たくなる。
男性向け整髪料のGATSBYってこの小説が由来なのかな。
次に何を読むか迷った。家にはあったけど正直ノーマークだった。背表紙と目が合ったため。
📕『ヨブ記』読了
ヨブを責めていた三人も信仰していて、責めざるを得なかったのかもしれない。だとしたら悪いとも思えず。ヨブに謝罪の供物を与えることを命じられたが、罰という罰も受けていなかったような。
信仰についての話がほとんどで、一神教に馴染みがないと解説や説教を聞きたくもなる。
別の方法で創作物としての構成や筋を確認していくのは面白いかもしれない。あと詩の形式なのでヘブライ語の朗読を聞いて雰囲気を感じてみるとか。
突然、全てを失ったり深い信仰心を試される展開は、過酷な風土も関係しているのだろう。
神の前では人間も替えの利く家畜なのだなぁ。替えが利く、というのは人間を部品化する。今回選ばれたヨブは部品として出来が良かったが、彼も替えが利いたかもしれない。
とにかくヨブと巻き添えを食らった家族が気の毒だった。
📕『異邦人』読了
彼が泣かなかったのは、母の因果に思える。もちろんそれだけではないにしろ影響は小さくないように感じる。間接的に母も裁かれているかも。
彼は人情の働きが一般的ではなかった点で死刑が決まった。この時代、優しさに段階的な組み合わせや速度や深度でもあるのだろうか、吟味されたのだろうか、それを誰が決められたのだろうか。
死刑にしたい側の排除的なアクションは普遍的に思う。村八分みたいなもので、今日も残っている。表面上は考慮せず、実際に他者を排除するときは、相手を人間として見、また見られているのだろうか?
例えば、私は他者への恐怖から相手ごと忘れようとしている時、相手の顔をのっぺらぼうのように考えようとする。殻だけ残るようなものだ。
社会を守るためには排除しなくてはならない。排除された者が神への生贄にもならないので何となく罪悪を感じる。後ろめたさがあるから悪い点を強調したり攻撃的になるのかも。
この暑いさなかに読んだことも、読んでみてよかったなぁとポジティブな効果になった。
暑さは生きている実感を強いる。だから“太陽のせい“というのは反抗心かもしれない。
私が不真面目だからかもしれない。人が定めた枠を超えたマイウェイ感。
母の葬儀が進んでいく場面は好きな描写がてんこ盛りだった。“ママンの棺の上に散らばった血のような土の色、土に混じっていた草木の根の白い肉” なんかは体が浮くような感動がある。最初と最後は一般的に湧くであろう感情とは逆の印象が働いていた気がする。
面白かったなぁ〜。最後は他人から見たら不幸なはずのに、なぜか爽快感があった。感情が溢れるシーンが肝だった。
この主人公のメリハリやそれによって迎えた余韻はカフカにはない。
📕『悲しき熱帯』 読了
以降はフィールドワークの内容が主で夢中になって読んだ。この人のカバー力の広さがあってのことだろうけど、やはり学者さんの着目点は面白い。
この調子なら下巻はするする読めそうだけど、果たしてどう書いてあるのか。気になる別の著作が手に入りにくくなっているのは残念。
“群集“ 目を背けたくなる話題で 読むのきつかった……
時々いいなと思う表現がある。たとえば人間以外のものに語りかけたり無機物に有機物的な扱いをするとか。日本の多神教の考えとは違った点、どこかの誰かの手が加わっていて、作った当時と今とでは見方が変化している。タモリさんと気が合いそう。
ヨーロッパの幾つかの都市は、死の中で静かに眠り込んでいる。新世界の幾つかの都市は、慢性の病気に罹ったまま熱に浮かされて生きている。永遠に若いとは言っても少しも健康ではない。
“南回帰線を越えて”を読むとジブリ、つまり宮崎駿が過ぎって仕方ない。ある土地に立ち、人間の営みと姿を変えた風景に思いを馳せる。今にいたる人間の営みを考えることは、人間が自然を破壊したり動物(時に人間に対して)を追いやってきたことについて考えることでもある。そこに強烈な批判と生々しさを感じるのは、自然に対する罪悪感がこちらにあるからかもしれない。この人はどんな心情で文を書いていたのだろうか。
この人ってこんなに熱い人だったのか、という印象もある。学者が24時間冷徹に物事を考えている思い込みがあったかもしれない。この本は学術書ではなくて、仕事にとりかかる前に素で書いたものっぽいし。
研究にこそ情熱をかたむける、でなきゃ秘境めいた場所に行けないだろう……アニメやドラマの見過ぎで学者のイメージが固まってたかも(人間味を出す必要がないという仕事のスタンスはそれはそれで好き)。
自然に対する罪悪感は小学生のクラス発表で取り組んだ環境問題のテーマに遡る。国道沿いのゴミ拾いをし、どんな種類のゴミがどれだけ投げ捨てられているか分別して調べた時のこと。ゴミ拾いをした国道沿いは雑木林ではあったけれど、環境保護・リサイクル活動の大事さが強く印象に残っている。
一年ぶりに読むと面白い。今だけの気分かもしれないけれど、以前苦痛だった長文がそれほどではない。