西洋哲学史:ギリシャ哲学(クセノパネス)
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クセノパネス(前570年〜前475年頃)
イオニアのコロポン出身 
宗教批判と"一なる神"
ギリシャの神々は、人間と同じように争ったり、妬んだり、喜んだり、盗んだりする。
クセノパネスはホメロスやヘシオドスによって描かれたこのような神観を非難している。
ホメロスやヘシオドスは人間のもとでも恥であり非難の的となる事のすべてを神々に行わせている。
盗むこと、姦通すること、それに互いに騙し合うこと。
セクストス・エンペリコス 『諸学者論駁』
また神々の姿や振る舞いを人間に似たものにすることも、根拠のない擬人観に基づいたものとしている。
・エチオピア人たちは自分たちの神々が獅子鼻で色が黒いといい、トラキア人は目が碧く髪が赤いと主張する。
・もし牛や馬やライオンに手があり、その手が絵を描き、人間と同じような作品を作りえたとするなら、馬は馬に似た、牛は牛に似た神々の姿を描き、彼らのそれぞれが有しているのと同じ姿の身体をつくり上げたことであろう。
クレメンス 『雑録集』
これら従来のギリシャ世界での神観に対し、クセノパネスの構想する神は、その姿も思惟も、死すべきいかなるものとも似ていないのであって、一であると共に全体であるところの不動な一者という神だった。
コロポンのクセノパネスは、神はひとつで非物体的であると説いて、次のように付言している。
「神はひとつであり、神々や人間どものうち最も偉大である。
その姿においても、思惟においても、死すべき者どもに少しも似ていない。」
クレメンス 『雑録集』
「神は全体として見、全体として思惟し、全体として聞く。」
セクストス・エンペイリコス『諸学者論駁』
「神は労することなく、心の思いによってすべてを揺り動かす。」
「神は常に同じところにとどまり、少しも動かない。ある時はここ、またある時はあそこに赴くというのはふさわしくない。」
シンプリキオス『アリストテレス「自然学」注解』
ホメロス批判
クセノパネス、ほどほどに謙虚な人、ホメロスの欺瞞をこき下ろす人。とティモンはいう。
セクストス・エンペイリコス『ピュロン哲学の概要』
クセノパネスは長命で90代まで生き、67年間ものあいだギリシャ各地をホメロスをけなして歩いた。
クセノパネスはホメロス批判という点で一貫した人物であった。
あまりにもホメロスのことをけなすので、シュラクゥサイの僭主ヒエロンは、
「ところで君は何人養っておるのか」との問いに「召使いを二人、やっと養っています」と答えたクセノパネスに対し、「君がけなしているホメロスは、もうこの世にはいないが、今なお一万人以上養っておるぞ」と言い皮肉っている。
プルタルコス『王と指揮官の格言』
これは当時ギリシャにはホメロス語りの吟遊詩人が一万人以上いたというとであり、ギリシャ社会にとってのホメロスの重要性を示している。
ギリシャの神々はオリンポスの山に召集される前はそれぞれの地域土着の神々であり、ホメロスの『イリアス』や『オデュッセイア』はギリシャ人の民族意識、歴史意識、正統意識の保証であった。
ギリシャ人たちが定期的にホメロスを聞き、民族の伝承に基づく悲劇を鑑賞したのはこれらギリシャの伝統意識に根ざしている。
このようなギリシャ社会の中で突然クセノパネスが啓蒙主義的合理的な神観を持ちえたのは、彼が故郷喪失者であったことに由来する。
クセノパネスはミレトスから60kmしか離れていないコロポンに生まれ、コロポンが他の都市と一緒にペルシャに占領されたのを期にコロポンを出でギリシャ各地を放浪し、後半生は主にシケリアのザンクレ(現在のメッシーナ)を中心に、南イタリアのカラブリア地方やシケリア一帯をめぐった。
クセノパネスは故郷を失うことによって土地から切れた存在として生きざるをえなくなったのであり、それゆえ彼は土地に根ざしたもの、つまりホメロスやギリシャの神観を非難し、伝統に対する批判者にならざるをえなかった。
故郷をなくし民族的伝統社会から切り離されたクセノパネスの、ホメロスによる神々の世界を認可できない漠然とした思いが、その裏返しとして「一なる神」を構成したものであり、純理論的な哲学的根拠から導かれた神観ではなかった。
詩人として
詩はエレゲイア型とシロイ型に大別され、シロイは横目や斜視を意味し、揶揄、冷笑、風刺的な内容の詩をさす。
クセノパネスは自らの思索の成果を詩の形式によって表現し、上に示したホメロス批判のようなシロイが大半であった。
クセノパネスは彼と同時代の哲学者や詩人たちに対するある種の了見の狭さから、すべての哲学者や詩人についてのシロイを発表したと言われている
プロクロス『ヘシオドス「仕事と日」注解』
万物の原理(アルケー)は土である
クセノパネスはイオニアの自然哲学者でもあり、万物の原理を土とした。
彼は『自然について』において「なぜなら万物は土より生じ、また土へと帰っていくのだから」と書いている
ストバイオス『自然学抜粋集』
そして大地は無限に下へ根を降ろしていると言っている。
クセノパネスは〔大地は〕その下方部から〔下へ〕無限に根を降ろしており、空気と火から合成されているとする
アエティオス『学説誌』
占いの否定
ギリシャにおいて占いは市民権を得た知であったが、ギリシャの自然哲学者の中でクセノパネスだけが占いを否定した。
古代ギリシャのみならず古典期にいたってもポリスの主要な政治的決定はすべて神託か占いによって決定され、切迫した戦場でも、占いで吉兆が出るまで戦端を開くことはなかった。
そのような社会で占いを否定することはギリシャ人にとって尋常ならざることであり、キケロはこのことを特筆すべきこととして報告している。
クセノパネスは神が存在するとは明言しながら、ト占を根底から否定したただひとりの人であった
キケロ『ト占について』
この占の否定にもクセノパネスのギリシャの伝統社会に背をむける姿勢が現れている。
参考文献(ギリシャ哲学史)
#自然哲学 
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