西洋哲学史:ギリシャ哲学(エンペドクレス)
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シケリア島のアクラガスの市民
構造的自然概念と主観性原理の相克
イオニア系統の自然哲学者だったエンペドクレスはピタゴラス主義と出会うことで2つの原理が一個体内で相克し葛藤し引き裂かれた哲学者である。 自らを神々のひとりとし、他の哲学者を認めることもまずなかったエンペドクレスにとってもピタゴラスだけは別格だったようである。
”エンペドクレスもまたピタゴラスについて次のように語って、このことを証言している。
「かの者たちの中に並外れたひとりの男がいた。まことにその者は心の最も豊かな富をわがものとし、ありとあらゆる知識の業に比類なく通じていた。なぜなら、ひとたびその全精神をもって求めたなら、彼は存在する者のすべてをやすやすと見て取ったからである。十度も二十度も繰り返されたその生涯によって」”(ポルピュリオス『ピタゴラス伝』)
ピタゴラス主義との遭遇で主観性の自意識がエンペドクレスの中に芽生え、自然との幸福な調和や一体感が失われ、突然自分が自然に忌み嫌われる存在と感じられるようになった。
”エンベドクレスはその哲学の冒頭において、「ここにアナンケー〔必然の女神〕の託宣がある。それは神々の太古の定め、過ちによって自らの手足を殺生の血で穢した者であれば、永生の命を得ているダイモーンといえども、至福の者から離れて、一万年周期の三倍をさまよわねばならぬ。われもまた今はかかる者らのひとり、神のもとより追われたる者にして、放浪の身」と宣言し、彼だけでなく、彼をはじめとして、われわれのすべてがこの世においてはさすらい人であり、異邦人であり、亡命者であることを教えているのである。”(プルタルコス『亡命について』17p.607C)
エンペドクレスの自意識の肥大化は近代のニーチェの「もし神が存在するなら、どうしてわたしが神でないことにないことに耐えられようか。だから神はいないのだ」(ツァラトゥストラはかく語りき第2部)というのとは少し違い、彼の場合はこうである。「もし神が存在するなら、どうしてわたしが神でないことに耐えられようか。ところで神々が存在することは自明である。それゆえわたしもまた神々のひとりでなければならない。」 実際彼は神々のひとりとして公衆の前に現れ、また子どもたちをしたがえて神として街を練り歩いた。
”それゆえ彼〔エンペドクレス〕は、パボリノスが『覚書』においていうところによれば、紫衣を身に着け、黄金のベルトを巻いていたのである。また青銅の履物を履き、デルポイの花冠を頭に戴いていた。彼の髪は濃く、子どもたちを付き従えていた。また彼は常にひとつの挙措を持し、気難しい表情をしていた。そのような姿で事実彼は〔街中〕を歩いたのであり、出会う市民たちはそれをまた一種の王権の印とも考えたとのことである。”(ディオゲネス・ラエルティオス『ギリシャ哲学者列伝』)
そして彼は自らが神であることを決定的に証明するために、エトナ山に飛び込んだといわれている。
"エンペドクレスは不死なる神とみなされることを望み、冷厳にも燃えるエトナ火山に飛び込めり”(ホラティウス『詩論』458)
ギリシャ人の通念によれば、人間が可死であるのに対し神は不死であるという点で異なるに過ぎないが、もちろん彼は神ではなかったわけで生きて再び火口から出てくることはなかった。
プロティノスはエンペドクレスを「あらかさまに語るピタゴラス」(『エンネアデス』Ⅳ8)と形容している。 神経症的な閉鎖性、猜疑心、警戒心が特徴であるピタゴラス派にとっては、エンペドクレスの哲学はある意味でピタゴラス主義の秘密を漏らすものであり、事実彼は学派の秘密を漏らしたとしてピタゴラス派の講筵に列することを差し止められている。 ”彼はピタゴラスから学んだとティマイオスは『歴史』第9巻において伝えているが、またその当時起こった学説の剽窃に係わって嫌疑をかけられ、プラトンもまたそうされたようにピタゴラス派の講筵に列することを拒まれたとのことである。〔中略〕ピタゴラス学徒はピロラオスやエンペドクレスの時代まで教義を共有していたが、エンペドクレスが詩によってそれらを漏らしてしまったので、いかなる詩人も教義に関与させてはならないという法を制定したとネアンテスはいう。”(ディオゲネス・ラエルティオス『ギリシャ哲学者列伝』Ⅷ54−55)
エンペドクレスの自然哲学
〜万物のアルケーは火、空気、水、土である〜
エンペドクレスはヘクサメトロスの詩形で書かれた『自然について』と『清め(カタルモイ)』という著作をのこした。
彼は四元素説を唱えることによってギリシャ哲学史上はじめて明確に多元論的原理を導入した哲学者として知られている。 それ以前の自然哲学者たちはそれぞれひとつのアルケーを掲げ互いに譲らず対立していたが、エンペドクレスはここで政治家的な妥協案を示し、すべてをあっさりと同等の資格を持った原理として認めてしまった。(ラッセル) これらの四元素をエンペドクレスは万物の根と呼んだ。火、空気、水、土の四つの根から万物は形成されているというのがエンペドクレス哲学のアルケー論である。
四元素そのものが生成したり消滅したりするのではなくその混合と分離に還元することによって、一方で生成・消滅は存在しないというパルメニデスの存在思想を満足させ、他方では現象において見られる生成・消滅の事実、ヘラクレイトス哲学のいう「パンタ・レイ(万物は流れる)」を説明しようとした。 四元素そのものは自ら結合や分離をする能力はないため、エンペドクレスは結合する原理として「愛」を、分離する原理として「争い」を導入した。これはアリストテレスからエンペドクレスははじめて質料因の他に動力因が自然の説明原理として導入したと評価されている。(『形而上学』A4.985 a 21) 世界の四つの時期
・第一の時期
愛の完全支配によって万物は統一的に結合され、ひとつの球体をなしている。球体の中には完全な静寂があり、争いは圏外に去っている。
・第二の時期
愛の支配する球体の中に争いが到来し、愛と争いが闘争する時期であり諸存在が生み出される第一の創造の時期。
・第三の時期
やがて争いが完全に支配するに及んで、事物は完全に元素に分解され、愛が圏外に立ち去る。すべてが解体され破壊され尽くす時期。
・第四の時期
しかし愛が再び到来し、分離されていた元素を集め、争いの去る時期。諸々の存在者や有機体が形成される創造の時期。
進化論的創造
最初に分離状態のところに愛の力が加わり、等しいものが等しいものと結びつく。その結果諸星、大地、天空、大海が生み出される(第一の創造)
次に愛と争いの闘争により植物や動物などの有機体が生み出される。最初に各器官が別々に独立して大地から発生する。
首を持たない多くの頭が芽吹き、裸の腕が肩から離れて彷徨い、眼だけが額につかずに徘徊している。やがてそれらの器官は
出遭うがままに任意に結合し合い、そこから奇怪な姿をしたさまざまな化物が出現したという。顔や胸を両面に持つものや、人間の顔をした牛の子どもや牛の顔をした人間の子どもとか、男女の両性を具有するものなどさまざまな生き物が出現した。
これらのうち生存に適したものだけが生き残り、その結果現在わたしたちが目にするような生き物に落ち着いたのだという。
ホメオパシック・セオリー
「等しいものは等しいものによって認識される」という原則(=homeopathic theory)をはじめて明確に主張した人である。
この原則を「流出物」と「通路」という構想によって根拠づけた。
彼の認識論はテオプラストスの『感覚論』によると、ものが知覚されるのは対象物から放出される流出物が知覚の通路に適合することによってであるという。流出物はそれぞれ粒子の大きさを異にしており、例えば火の粒子はもっとも微細であるが、土のそれはもっとも粗大であるといったふうに。そのため火の流出物は火の通路しか適合せず、水のそれは水の通路にしか適合しない。そこから火は火によって知覚されず、水は水によってしか知覚されないといったことが起こる。
そして人間がこれらすべてを認識できるのは、人間の内には四つの根(四元素)がすべて含まれているためとする。
すなわち体の硬い部分は土であり、血液は水であり、呼吸は空気であり、魂は火である。
またエンペドクレスは思考や感覚の座は頭ではなく、血液にあると考えていて、われわれは血液によって最もよく思慮する。というのも四元素は血液において最もよく混ざり合っているからという。
エンペドクレスの人物像
エンペドクレスは合理的精神に満ち、科学的探求心の旺盛な人であった。
彼は空気が独立の実態であることを発見し、月が太陽の反射光線によって光っていることも知っていた。
また医者でもあったエンペドクレスはさまざまな医学的、生理学的研究も行ったようでおそらく解剖もしていたと考えられている。彼は医術のイタリア派の創始者とされその水準は極めて高かったといわれており、特に子宮に関することや胎児の形成のされ方なども詳しく研究した。
アリストテレスの語るところによれば、弁論術は彼が創始でおる。(『ソピステス』断片65)エンペドクレスはソピストの先駆的存在でもあった。 そしてアクラガスの民主派の政治家でもあり、晩年は政治的亡命者となりペロポネソス半島を放浪して生涯を閉じたとされる。
彼は通り一遍の哲学者ではなく、同時に詩人であり、政治家であり、弁論家であり、科学者であり、医者であり、農業技術者であり、魂の輪廻説を信奉する宗教家でもあった。
また躁鬱変化の激しい性格であったと見えて、ある時は自分を大変な罪人であると感じるかと思えば、またある時には自分を栄光に満ちた神々のひとりであると公言してはばからなかった。