西洋哲学史:アレクサンドリアのピロン
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ユダヤ人哲学者。
ユダヤ教の教義とギリシャ哲学を統合しようとし、新プラトン主義に接近した神秘主義的哲学を展開した。 ピロンはいわゆるモーセ五書(「創世記」「出エジプト記」「レビ記」「民数記」「申命記」)に寓意的解釈を試み、ギリシャ哲学が概念でもって語った真理はすでに『聖書』の中にアレゴリーとして語られているとした。つまり彼は聖書においてもギリシャ哲学においても同じ真理が見出されるとし、ピタゴラス哲学、プラトン哲学、ストア哲学などをもって聖書を註解した。 ピロンによればギリシャの諸哲学者は「モーセ五書」を知っていたと仮定し、聖書が啓示する真理を概念でもって語るに過ぎないという。
プラトン的聖書解釈「二段階創造説」
モーセ五書のうち特に「創世記」においてプラトンの「ティマイオス」から強い影響を受けた二段階創造説が展開される。 「創世記」第1章では神はみずからの形に似せて人間を作り、第2章で人間は「土の塵」から造られたとある。
ピロンによれば神は第一日目に「思考される世界(ホ・ノエートス・コスモス)」を、二日目以降に「感覚される世界(ホ・アイステートス・コスモス)」を作った。第一に創造されたのはイデアの世界=可知的世界であり、次に現実の可視的世界が造られたのである。神の「形」はギリシャ語で「エイコン」と訳され、その神の似像がいわば人間のイデアであるとピロンは理解した。神は人間のイデアを介して人間を創造した。 時間論
神は世界を創造し、「世界の運動」によって時間が生まれた。(『神の不動性』第6章31節)
「創世記」は「はじめ(アルケー)に神は天と地を創造した」と始まるが、この「はじめ」とは「時間にしたがって」という意味ではない。時間は世界の後に生成されたからである。 ピロンと神
ピロン哲学の中心をなす概念は世界を絶対的に超越する神の概念である。
神は一切のものを絶しており、われわれはいかなる規定をもってしても捉えることはできない。
神はいかなる完全性より完全であり、いかなる善よりも善であっていかなる属性も帰属させることはできないという。
神に関してはただ「在る」ということだけしかいえず、その「何であるか」は語りえない。「神は〇〇のものではない」という否定性でしかその本質を指示できない。これは後の否定神学の先駆けとなった。 一方世界に存在する悪や禍や不浄の原理は物質(質料)に由来するとした。これらが存在する世界と至純な神とは接点を持つことができないため、ピロンは神と物質世界の間に両者を仲介する中間存在者を想定した。
中間存在者は一般に「諸力」と呼ばれ、ギリシャ的にイデア、デミウルゴス、神の思惟、知性と記述され、またユダヤ的に天使、精霊、神の使者と記述される。そしてこれらの諸力を統括する最高の力としてロゴスを置いた。 ロゴスは世界の諸物を創造する力であり、諸物は質料の混沌の中にロゴスが浸透することで形成される。
神との合一
ピロンは世界の悪の原理は物質(質料)とした。それゆえストア学徒と同様に禁欲主義的生活によって情念(パトス)を根絶し、悪の原理=物質である肉体から魂を開放開放し心の平静(アタラクシア)に至ろうとした。さらに彼は魂を高めることによって神の知性であるロゴスに達し、ついにはロゴスすら絶して忘我の境地にいたり神と合一することを目指した。 意識を絶した恍惚状態における神との神秘的合一がピロン哲学の目標だった。
しかし神との合一は自力でなせるものではなく、清浄な魂に与えられる神の恩寵であるという。この点でピロン哲学はヘブライズム的特徴である他力の面が前景に出ている。