ヘゲモニー国家
世界システムの歴史では、ときに、超大国が現れ、中核地域においてさえ、他の諸国を圧倒する場面が生じる。このような国を「ヘゲモニー(覇権)国家」という。もっとも歴史上、このような国は、十七世紀中ごろのオランダ、十九世紀中ごろのイギリス(「イギリスの平和」)、第二次世界大戦後、べトナム戦争前のアメリカの三国しかない。 世界の現状は、ヴェトナム戦争以後、アメリカがヘゲモニー(覇権)を喪失した状況にあることは、ほとんどの研究者が承認している。…… ヘゲモニー国家とは、世界システム論において圧倒的な経済力で覇権を確立した国家のこと。 十七世紀中頃のオランダ
十九世紀中頃のイギリス
第ニ次世界大戦からベトナム戦争までのアメリカ
『世界システム論講義』によると、世界システムのヘゲモニーは、順次、生産から商業、さらに金融の側面に及び、それが崩壊するときも、この順に崩壊する。 これは、オランダ、イギリスやアメリカすべての例において当てはまる。
たとえば、19世紀末のイギリスでも、生産面ではドイツやアメリカに抜かれたにもかかわらず、ロンドンのシティが世界金融の中心としてとどまっていたし、ヘゲモニーを喪失した現在のアメリカにしても、世界の基軸通貨はドルであるのと同様である。
また、ヘゲモニーの状態は長くは続かない。、いずれの場合も真の意味のヘゲモニーは、半世紀とは続かなかった。
要因の一つは、ヘゲモニー国家では生活水準が上昇し、賃金が上がるため、生産面での競争力が低下することにある。
他にも、ヘゲモニーを確立した国はイデオロギー的にも特徴的な傾向を示す。すなわち、圧倒的な経済力を誇るヘゲモニー国家は、必然的に自由貿易を主張するのだという。
この時代のオランダでは、有名な国際法学者グロティウスが「海洋自由」論を唱えたことはよく知られている。
圧倒的に強い経済力を誇る国にとっては、自由貿易こそが他の諸国を圧倒できるもっとも安上がりな方法だから。
同様に、19世紀の「ヘゲモニー国家」イギリスにも、20世紀のアメリカについてもいえる。アメリカが自由貿易をしていたのはそのヘゲモニーが確固としているあいだだけであったことは、ごく近年のこの国の政策をみれば明白なのだという。
自由主義を標榜するヘゲモニー国家の中心都市は、実際に、世界中でもっともリベラルな場所となる。
故国を追われた政治的亡命者や芸術家が集まる場となる。
17世紀中頃のアムステルダムは、のちのロンドンやニューヨークと同じように、亡命インテリの活動の場となり、画家をはじめ、芸術家の集まる町となった。