似る問題
たかくらかずきさんとEXCALIBURさん
たかくらさんの指摘
もちろん「ドット絵」も「神仏」も「絵文字」も「常世」も「曼荼羅」も「アーケードゲーム」も「UV印刷」も「掛け軸」も公共のモチーフであるが、これらの全く同じ組み合わせを「全て」使って作品にする必要が、あったのだろうか?
> これらは僕が悩み悩んだ末に選んだモチーフであった。それが「偶然」全て同じになってしまったのであれば、すごい偶然だ。ましてや技術もキャリアもある人がそういうことをするなんて、絶望しかない。
確かに展示のただずまいからたかくらさんの展示を想起するのは容易
たかくらさんの発信量や展示の回数からしてもたかくらさんがある程度の認知を勝ち得ていそう
何年のタイミングで何のモチーフを使ったかも示している
EXCALIBURさんの反応
恐れ入りますが、前提としてたかくら様の作品をほとんど鑑賞したことがありません。
今、空港のため簡単な説明になりますが、日本というキーワードから仏教的な要素で2009年「GEISAI」で曼荼羅をテーマとした音響インスタレーションを発表しました。絵文字に関しては、2017年頃、絵文字とマップチップの関連性から作品に取り入れており今回の作品はその延長線にあります。
繰り返しになりますが「常世」というキーワードは2013年の「ある家の肖像」という展示で発表、2014年の「常世東京」というプロジェクトから継続的に用いております。UV印刷を取り入れたのは2019年からで、パリの「ASIA NOW」で発表しております。大型の作品は2020年完成、2021年の「Urban Art Fair」で発表しております。
アーケード筐体のアートへの活用はヨーロッパのアーバンアートではポピュラーで、2002年にはDELTAが展示で使用しています。筐体の制作会社も多いです。ご指摘の写真はAIと協作した7分ほどの動画の数フレームで、人類史に残すべき美しい世界とは何か?を話し合って出てきた世界の事例の一つです。
展示全体を見ると神仏やドット絵のコーナーは一部であり、(彫刻的)インスタレーションも伴っており、提示されるものに幅がある
ドット絵+レトロゲーム+宗教モチーフも扱うが主題はより広範な話題を提供しているように見える
過去の展示
循環参照、メメント・モリ
西洋美術的なテーマも色濃く、たかくらさんとの明示的な違いは示せそう
個人的には
たかくらさんの主張は独占的にうつる
明らかな個人との関連以外、文化資産は開かれるべき
作家自身のモチーフ選定や現代アート批判の論と矛盾も感じる
が表層が「似ている」という指摘は納得する
展示風景がかぶる、というのは確かに良くない競合なので、さけられるべきであった
という点でEXCALIBURさんのリサーチやリスク判断に不備があったとも考えられる
好み
EXCALIBURさんの作品のほうが好み
絵柄やコンセプトが優れ、「作品強度」がある
(「作品強度」という言葉は良くない、下手くそな批評)
要は、良い鑑賞体験を得られる
たかくらさんは評論やグッズ化など多角化しフォロワーを巻き込むことに長けている
現代アーティスト的人物素養に長けていそう
現代アートシーンの難解さを批判する姿勢
作品強度でいうと疑問に思うものもある
がウォーホルなどを考えてもそれも常
表層は似ている
アーケードゲーム
クレーンゲームなので厳密に区別できそうだが
欧米では日本が思う以上にポピュラー
ITP出身、現ライゾマの石塚くんに連れて行ってもらった
UVプリント
サンエムカラーがデジタル媒体のアーティストに広くリーチしている
作家固有のスタイルとしては主張できない
入稿指定
日本的な神仏モチーフ
同時代の社会思想(=「宗教」)観を組み合わせる
emoji
イラスト以外でもWeb系で流行りちらした記憶
言葉、フレーズ
原発の「明るい 未来の エネルギー」
ドット絵
色調や構図には明確に違いがありそう
たかくらさんはキャラクター中心、GIFっぽい挙動
EXCALIBURさんはレトロゲーム、色味は色彩設計をしていくスタイル(フォトショ的?)
NFT作品
上記が組み合わさっている
最終的な展示風景
これは確かに似ると問題が起こる
「似ている」という指摘は批評の本質ではないが、作品の価値は下がるような社会的な力が働く
直接的参照なしに偶然にてしまうことはあるか?
俺はそもそもドット絵オリエンタリズムを恥ずかしげもなくやれる根性がそもそも大して高度ではないと評論家として思うが、それはそれとしてパクリがカブリかはそれぞれ言い分があるだろうからきちんと言うべきを言えば、見てる人は見ている。
ITPの例でも、レトロゲームの様式に現代的なモチーフが伴っており、似たような風合いに落ち着く可能性は大いにある
日本だけでなく欧米でも
西洋に反射させられる日本の文化資産(オリエンタリズム)
偽日本製
YMOが論としては顕著だが、あらゆる世代、あらゆる表現に散りばめられている
ということの立証のほうが簡単
作家性、著作権
民事裁判になったときにどうなるか?
「著作物」とは、思想または感情を創作的に表現したもので、文芸・学術・美術・音楽の範囲に属するものを指します。
コンセプトや表現方法の組み合わせをして、著作物として争う(著作者同一性)
たかくらさんの主張は厳しそう
個性が伴う特徴的な表現と言えるか
直接的な参照の立証が通るか
EXCALIBURさんは否定
むしろ、たかくらさんが勝った場合に、特定の組み合わせに独占を主張でき、危険なのでは
仏画、ビックリマンなどをサンプリングする作者にとっても矛盾が生まれる、とも考えられる
似る問題の回避方法
自作品のドキュメントを共有する
参照をたどって明示する
似た表層、コンセプトを伴う作品もリサーチする
学生の課題レベルでも同じコンセプトになる場合がある
高名な作家のコンセプトが美大の課題の成果物よりも陳腐な場合もある
「〇〇っぽくなる」ことのリスク判断
言いづらいことも言う
無自覚に似ることに対するリスクが希薄
サンプリングやオマージュと混同
「広告代理店の企画書」
日本の広告業界はむしろ「何かのパクリでなければ受け入れられない」という状態で、基本的にCMとかは、作る前に「リファレンス」と呼ばれる、いわゆるパクリ元を探してきて企業にプレゼンするところから始める。(ここにあらゆる作家の作品が引用され勝手に提出される。僕もよく書かれたりしていた。)
これが僕には信じられなかった。鑑賞者は既視感がなければCMやMVを受け入れないというところから始まってるのだろうが、結局過去にあるイメージをどのように引用するかというのが企画書の中心になっていた。
僕の師匠のものとか、そういうのをうまくパロディ化して面白くするCMもあったが(そうのは意図的にやられていて好き)リスペクトのないものも多かったなあと思う。広告業界のその体質は今、変わってるのだろうか。そのままなのだろうか。
本当によく見る、Pinterestで構成された企画書やムードボード
😡😡
参照元、画像の作者を示すまでをディレクターはやるべき
でないと容易に劣化コピーに陥る
作業者が一番なえる
悪くすると著作権侵害
過去に何度も炎上をしてきた
代理店の無作法 vs 範囲大きめのオリジナル主張
多方面に失礼
文化的成果の軽視
ChatAIのコンセプト出しによってさらに加速しそうなパクリ・パクられ議論
今回の発端もChatAIによって協業された部分が既往作品と「カブった」という皮肉
自覚されない被り、明示的参照をともなわないパクリが顕在化してくる
「コンセプトは思いつくが実現はしない・できない」、ような部分が必要
ライゾマやチームラボは規模的に真似しづらい
↔神仏モチーフのドット絵は再現やアウトプットがしやすい
anti-技工的な作品は剽窃(悪意ある再現)に脆弱