減色
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減色の味わいってある
それが時代遅れなのか、プロの矜持なのか おしゃれでかわいいやつなのかは、出し方次第で変わるものだ
位置づけ方
ポジションを明確に
どう解釈されるかをコントロールしなさいよ
さあ始めるざますよ
いくでがんす
どう解釈されるかをコントロールしなさいよ
ジュリアン・オピーのカーナビの風景画が可愛かったんだけど
私の前職(OA機器メーカー)で カーナビのメーカーから転職してきた同僚が 最初の自己紹介で 256減色して視認性よくセンスよく仕上げるアイコン制作経験豊富です! いうてて グループのみんながオ〜!!と湧いた それは苦しみ喜びをわかちあえる仲間と認めるのに話が早いエピだから 同時に ワシはそんな時代遅れのデバイス対応のケチケチテクニックを誇る環境に 目のしぱしぱ疲れとともにしょんぼりする気持ちもあった
職能としての思考の柔軟性とか、知識と実行力のようなものをより自分に必要に感じていたからなんだろう。
やりくりに必要な知識 耐性 長期にわたって効率化と精度を高める実務経験areプロのテクニック、というような矜持を抱く気持ちも多少はあるが、目先のビジネスが変わったらすぐ陳腐化して単体で宙に浮く謎のスキルがプロのスキルとされているのは変な話で、いまやほとんどニーズのなくなったかつての写植屋さんの仕事のようなものだ。
デジタル化で一気にやることがなくなった 昔はメジャーな仕事
効率化という抽象スキルは属人的なスキルとしてあって、案外どこででも活かせるのかもしれないが、256減色ソルジャーには殆ど関係のない話である。
減色スキルの「プロたるゆえん」
減色アイコン制作のような技術は、限られたリソース制約でどれだけ効果的に伝えられるかが問われる
ジュリアン・オピーの作品やドット絵が愛されるのも、その簡潔さに通じる美しさがあるから
一方で起きる謎スキル化(陳腐化)
こういう局所的なスキルは時代の波に左右されやすい
写植屋や活版印刷の職人がデジタル化で仕事を失ったように、技術そのものが環境の変化に淘汰されることもある。
「時代遅れのデバイス対応」や「贅沢でないプロの技術」と感じる部分、その両方に価値を見出す文脈はある
ドット絵やopieの作品に惹かれるのも、その「古さを活かして新しくする」美学への共鳴なのかもね
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