部分が全体を表す
ぼくは全体性を目指したがる
過不足なく揃っているのが好きだから
でも全体を完成させるにはこつこつを積み上げる必要がある
だからまずは部分をつみあげなければならない
そもそも考え方を変えてみよう
部分という状態は不足なのか?
しかし完璧と思えるような物語は存在する
それどころか、部分を仕上げていくと全体を感じることがある
いや、全体というのは部分を通してしか作れないのではないか
もし全体に到達することがあるなら、それは部分を積み重ねていった結果論であって
「全体を目指す」ことはただただ完成を感じられずに辛いだけだ