切り抜き動画の哲学
もともとファンが推しを拡散するために動画配信の面白い部分を寄せ集めて動画を作るというカルチャーはあったが、昨年後半にひろゆき氏が切り抜き動画の制作を黙認することを宣言し、収益が発生した場合に制作者と折半する仕組み※を整えたことで副業の手段となり一気に増え、同じような仕組みで切り抜き動画を容認・黙認するクリエイターが増えてきている。
※YouTubeがコンテンツIDを使って元動画を認識する方法。音楽やラジオ番組の違法アップロードはこれによりかなり著作者に還元されるようになってきている
切り抜き動画は現状、デフォルトが違法行為になってしまう。
他人の動画をダウンロードし、改変し、アップロードすることは著作権違反のオンパレードだ。
著作権違反は親告罪なので、本人が黙認すれば罪に問われない一方で、著作者がその気になればいつでもちゃぶ台返しをすることが可能になっている。
「全体の一部を切り取って見せる」というコンテンツのあり方はこれまでにも存在する。
スポーツのダイジェスト動画やドキュメンタリー映像がそれにあたるし、そもそもニュースは突き詰めれば事実の切り抜きだ。
もっといえば、世にある小説やマンガ、映画などの創作は作品世界の一部を切り取った視点で語られる形式を取る。
部分が全体を表すという考え方もできるし、個人が使える時間は有限なので自分にとって有益なものを絞って視聴できることは根本的には歓迎すべきことだ。 ひとむかし前に、キュレーションという言葉も流行った。
どう切り抜くか、どう繋げるか、どうまとめるかなど、制作者の意図や創意工夫できる部分も多くあり、トップの切り抜きチャンネルは通常のYouTuberと同じく伸びるべくして伸びている。意味の遊びがうまい。 例
ひろゆきキャリア →ただの雑談をリクルート、キャリア情報の文脈にとれるようにパッケージ
サイコパスおじさん【岡田斗司夫】 →岡田斗司夫を知らない人に向けての超優れたコピー笑
著作者・制作者・視聴者にとってのメリットも大きいため、うまく運用すれば新しいエンタメの形になるかもしれない。
著作者:余分な労力をを使わず、ファンを増やすことができる
制作者:ストック収益を受け取ることができる
視聴者:面白い部分だけをまとめて観ることができる
【問題点】
意図しない切り取り方をされる可能性
著作権がこの文化に対応していない
著作者の意向次第なところがある
同じ箇所を切り抜いた動画が氾濫してしまう(現にYouTube観ててこれが一番不満)
プラットフォーム側(YouTube)としては、短い動画はTikTokなどへの対抗となるので歓迎したい(このアルゴリズムが切り抜き動画を流行らせた一因でもある)が、質の低い同じような動画が大量発生してしまうことは避けたいはずなので、今後どのような対策を講じるのか注目したい。
動画制作としては、大変効率の良い入門になる。どこを取り上げてどこを落とすと視聴者が喜ぶかの感覚を養う良いトレーニングになる。