なぜ私にとって日常生活の意味批判(暮らすってなに)が必要なのか
なぜ昔からこれが気になっているのか?
記号論講義の該当部分を読んで以下のようなまとめを考えた。
私は自由でありたい。
ゆえに意味から距離を取るすべを身につけておきたい。
さらには自分自身で意味をつくりだしたい。
意味とは物語とも言い換えられないか。
コンテクストと言い換えられないか。
人は意味を必要としている。
意味があると安定する。
意味によって秩序が生まれる。
見方を変えれば
意味とは限定することである。
(超現実、シュルレアリスムはそこを批判する)
しかし世界にはそれ(意味の集積)では割り切れないことが存在する。