なぜ私にとって日常生活の意味批判(暮らすってなに)が必要なのか
日常生活の意味批判は暮らすってなにとほぼ同義だと思う。
なぜ昔からこれが気になっているのか?
→自分の人生に意味を与えられるようになるにも別の視点
記号論講義の該当部分を読んで以下のようなまとめを考えた。
私は自由でありたい。
私は負の感情から自由でありたいのかもしれない
ゆえに意味から距離を取るすべを身につけておきたい。
さらには自分自身で意味をつくりだしたい。
意味とは物語とも言い換えられないか。
コンテクストと言い換えられないか。
人は意味を必要としている。
意味があると安定する。
意味によって秩序が生まれる。
1が1あるいはnに対応する。→ 等価交換!
見方を変えれば
意味とは限定することである。
(超現実、シュルレアリスムはそこを批判する)
つまり、人は意味を欲しながらも無限の可能性に憧れて生きているという矛盾を抱えた生き物である
意味が収束していくこと、大人になること
人生がつまらなくなる原因
しかし世界にはそれ(意味の集積)では割り切れないことが存在する。
芸術や贈与がそれにあたる。
#私はこう考える