WRM 2021/07/05
これをひとりでやるから面白くなくなるのではないか?編集者的な存在を探してみる?
それまでは、「なんとなく、こういうコンセプトが求められているのだろうな」という私なりの想定があり、それに合わせるように企画案を考えていたのですが、その方向ではどうしてもうまくまとめきることができずに、「ええい、もういい」と思ってストレートに自分の考えを書き出すと、するするとそれがまとまり、それに付随してアイデアも出てくるようになりました。素晴らしいことです。
その経験から確認したのは、著者と編集者という役割分担がある以上、あまり忖度するのはよろしくないぞ、ということです。著者は著者なりに自分の書きたいことを提示し、それを編集者が整える。そういう分業をするからこそ、むしろそれぞれの立場が活きてきます。片方がもう片方に忖度するならば、極論すればその片方は別にいなくてもいいわけで、それってあまり良い仕事のやり方とは言えないでしょう。
勇気づけられることば。気がつくとこれを忘れて、つらいところから逃げようとしてしまう。自分がやっていることの価値は、自分が一番知っていると言い切るようにしたい。
学びは、自らの愚かしさを自覚するところからしかはじまらない。筋トレも、筋肉に負荷をかけないと一切効果が上がらない。ある種の「苦痛」を経ることでしか進めない道行きがあるのである。それは出版活動においても言えるだろう。
開かれている、謙虚であるということ。コミュニケーションを前提としていること。授けているのではなく、共有しているという感覚。
人文書のように強い熱量とそこから生まれる知識があり、ビジネス書・実用書のように読者に読んでもらおうとする姿勢と工夫がある。その両者が重なるところに『独学大全』は屹立しているのではないだろうか。
"「これまでにないヒット作」(ドラッカーが言うところの顧客の創造)"は掛け算から生まれるとしたら、この流れを抽象化する必要がある。単に真似るだけでは単なる類書。
『独学大全』という名前が示している通り、この本の対象読者は「独学者」である。今独学を実践している人や、これからそれを志そうとする潜在的な独学者──つまり、何かしらを学ぼうという気持ちを持っている人間すべてが対象読者なのである。
そのような独学者・独学志向者がまずたくさんおり、それらの中で必要があってWebを検索したときに読書猿氏のブログと出会い、そこでファンになった人間がたちがいくらかいる。そんな構図である。「読書猿のファン」が地層の一部である、とはその構図を意味している。地層全体は、「学ぶ」ことに憧れ、それを実践してきた人たちすべてだ。
「飢えている」なら救うべきだ。だから顧客の創造は世界に必要だ。
潜在的な顧客層はたしかにそこにあって、しかしそれは可視化されていなかった。もっと言えば見過ごされていた。もし見過ごされていなければ、『独学大全』がここまでのヒットを飛ばすことはなかっただろう。読み手はたしかに飢えていたのだ。こういう情報が必要だったと欲していたのだ。そのことは逆に、ビジネス書というジャンルがまったくこうした情報を提供できていなかったことも意味する。
とてもワクワクする締め方だった
■次なる疑問
というところまで考えて、「じゃあ、どういう本だったら口コミを発生させられるのか」という疑問が当然のように湧いてくる。言い換えれば、その本のことを誰かに伝えたくなるような本とは、どんな本なのか、という疑問である。
もちろん、この疑問は難問である。そんなことがはっきりわかっていたら出版社はもっと楽に商売ができているだろう。だからといって、考えを手放すのは省エネすぎる。
そこで次回は、本の内容について検討していこう。キーワードは「贈与」になる。そこで今回の途中に出てきた「ビジネス書が置き去りにしてきた読者層」の話も出てくるはずだ。 (次回につづく)