2026-05-15
#うちあわせCast を聴いていてふと考えたことがあったのでメモ。(いつもながらお二人が話している内容からはだいぶ脱線しているのですみません)
https://open.spotify.com/episode/2iFL7iIa5V7hGVyEmJRpgu?si=22gZRiz7QKyIVMK_attPoQ
曽野綾子さんが「原稿に思考の跡が残っている形で世に出すのは失礼と感じる」とおっしゃったという話から、出来上がりまでの変遷が見られるということにもまた価値がありますよねというお話をおふたりがされていた。
それを聞きながら、私にとって曽野綾子さんのようにしたいものが自分の生業にしているものの作品であり、後者が日記であるんだなということを考えていた。どちらも世の中にどう自分を手渡してみるかの方法であって、前者だけでは満ちない価値を日記的なもののなかに感じているんだと思う。どちらの価値が高いか、どちらを私の本領としているか、などということとは無縁な感じで捉えているにもかかわらず、何故私が日記という形のものをそれ以上の形にしなかったのか(例えば本にして売ったりということ)、そうしてみたいと思ったこともあったのにどうしても気が進まなかったのは何故かが、なんとなく分かった。
私の中には「完成品」が「本」になるべきで、対価をもらえるとしたらそういうものだという根強い固定観念があるんだろう。すべてを練り、切り落とした結果の姿にある面白さと、その道のりや手の垢まですべてその人のものとして記録しておくこととを比べるつもりがないと考えながらも、やはり前者には人生全部をかけないと完成できないという意識があるから重く捉えすぎてしまうのかもしれない。
🦵45分ほどストレッチと軽くトレーニング。
胸椎の旋回/右股関節を骨盤を最大に傾けた状態で維持できるように/柔軟性だけでやっていたことを筋力に少し手渡せるようにする
#稽古メモ
📖『La tresse』Laetitia Colombani#6a0764530000000000236585
仕事の賃金の代わりとして、食べ物や生活のものをもらうとのことだが、彼らはアンタッチャブルであるだけでなく見えないものとして扱われなければならない。だから服を床に投げてよこすのだと書いてあった。
ハリー・ポッターに屋敷しもべ妖精というのが出てきて、彼らもそんな扱いを受けていたような気がする。ハーマイオニーが彼らの復権に奮闘するシーンがあった。
#05-15