2026-05-13
#noism のこと。
政治に身を置きながら純度の高い作品をつくり、次代を育て、出演もするなんて、それがどれほどの孤高を要したか想像がつかないし、その中で磨き上げられた視座が、矮小な功績主義に終始するはずがない。金森さんの視野の先にあったのは単なるカンパニーの存続ではなく、舞台芸術が社会で呼吸するためのシステムと意識の変革なんじゃないかなと思う。
20年という歳月は行政の枠組みで見れば一区切りかもしれないけれど、ひとつの芸術が地に根を張るには刹那的な時間でしかない。
現在ではあらゆる表現が大衆性という名の市場原理に晒されている。需要がない=価値がない、お金を生むものでないなら維持する理由がない。そういう諦念は作り手側にも浸透しつつある。
芸術は日常生活の安定があってこそ成り立つわけだけれど、生活者としての目線にのみ終始すれば芸術は枯れてしまう。(…とはいえ、芸術の名を借りた無責任がはびこっている現状が芸術への不信感を招いているのも同時に理解できるけど…。)
おそらく、行政と自分の理念との間に架け橋がいなかったのも、高い理想を追求しようという信念の硬さゆえだったのかもしれない。でも、本当に本気で、死ぬ気でそのことをしようと思ったら、絶対に妥協なんかできないものな。それは自分のためでも、自分の周りの人のためでもない。この先の世界のため、芸術のためなんだと思う。
金森さんが耕して芽の出てきた土壌をコンクリートで平らげて次のカンパニーに差し出す行為は、文化を培ってゆく気がないという宣言と等しいと思う。それがともに文化を育んできたパートナーに対する態度なのだとしたら、敬意が欠けていると言われても仕方がないのでは…。こんな遺恨を残されて次のアーティストだってやりづらいだろうし、双方できちんと対話をしてほしい。これは新潟県とnoismだけの話ではなくて、日本の舞台芸術のこれからに関わってくるのだから…。
でもヨーロッパで舞台芸術が保護され、芸術を仕事として生きてゆけるのは、このシステムが成立した時期がまだ経済的に豊かな時代だったからだろうとも思う。フランスは舞台芸術に対する助成が厚いけれど、もしこれから同じシステムをいちから構築できるかと問われたら難しいはず…。
行政の方の苦悩は語られていないので、一方的に責めることもできない部分もあるはずとは思う。
ここまで成功できたのは誰にも真似のできないほど高い理想を貫こうとする意志があったからだろうと思う。一方ではそれを称賛して恩恵に預かっておきながら、いざ衝突した途端にその性質を対話の拒否の口実にするのはダブルスタンダードじゃないかとも思う。成功を享受しながら、対立すればその源泉を否定する、というのは、文化をあつかうものとしての矜持を疑われても仕方がないかもしれない。
…とはいえ、この精神性を行政に分かってほしいと願うのは無理筋なのかもしれない。ヨーロッパとは社会が文化と歩んできた歴史が違う。フランスが文化的なことにお金を割けたのは根をたどると植民地が関係しているわけだし…。
📖『La tresse』Laetitia Colombani#6a04d6550000000000b9abf1
Smitaの人生、なんと過酷なのだろう。現在ではトイレが整備されているかとは思うが(分からない)でも身分制度は依然として残っている。掃除の代わりとして娘を学校にやろうと決意したところまで。
#05-13