2025-10-10
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Cosenseに時々お邪魔していた方々が一時期読んでいたので読みたいリストに入れていたのだった。audibleで読んでいるので少し飛ばし読みみたいにはなってしまうかもしれない。…などと考えながら読んだけど最初からぐっとつかまれてさっそくメモしたい箇所がいくつもある。
ちょうど音楽家の友人が、フェスには行くけれど個別のコンサートに行かない人が昔よりも増えているという話をしていた。フェスはある程度人気のあるグループがすでに専門家によって選別されているから、気に入るアーティストが見つかる可能性も高い。忙しい中時間を割くのならなるべく費用対効果が高いほうが良い。多くの人と感想を共有できるという楽しみもある。SNSにも投稿しがいがあるかも。いっぽう個々のアーティストのコンサートとなると、せっかく足を運んでも当然ながらそのグループしか見られないし、あまり好きじゃなかった、良くなかったとなる可能性もあり(これはフェスにしたって同じことではあるんだけど)その選択の責任の所在は自分にしかない。もし良かったなと思ってもその喜びを共有する人数や範囲は限定されるかもしれない。
SNS上で新しく生み出されるものはもうほとんどなくて、同じような文章・定型がリツイートなどで繰り返し人の目に晒されることでいいねが増え、いいねが増えればまた人の目に晒される機会が増える、自分がそれに何かを付け加えただけで世界に参加した気分にもなってしまうという現象は、このフェスにしかいかない問題にもそのまま反映しているなという気がする。AIが、もうすでにあるものを学習してちょっとだけ組み合わせを変えて新しく見えるものごとを作り出すことに既に多くの人が満足してしまっていることも、そこに繋がってくるかもしれない。
読み始めたらまさにそういうことが導入になっているので、このさきを読むのも楽しみ。
TwitterやBlueskyに費やす時間が減った。その分を他のことにまわせているかといえば良くわからないけれど。
子どもの頃に家族宛に発行していたトイレ新聞のようなことがしたいのにな、などとただただ夢想しているうちに、私がSNSで眺めている方たちはどんどんそのような活動を高度に推し進めている。
だけどわたしが本当に読みたいと思うものはどういうものだろう。書きたいと思うことは…、というより、書きたいと思っているのかどうか良くわからない。下手くそでもなんでも、ことばにする欲求が以前はもう少し素直にあったのにな。読みたい気持ちほど強くない。
その理由は自分ではよく分かっているけれど。